琵琶湖の西側(湖西)を南下する
余呉湖は、琵琶湖の北東にポツっとある湖なんですね。
せっかくなので行ってみました。2018年5月連休です。
雨に煙って人影もなく、琵琶湖という大物のそばで息をひそめている感じがたまりません。
湖面沿いに一周できる道路があるので、またここへ来て晴れていたら走って一周したいです。
尚、この余呉湖と琵琶湖の間に槍ヶ岳があり、柴田勝家と豊臣秀吉がガチでぶつかった戦場があるらしいのですが、どう見ても山しかありません。
戦国時代の人、甲冑までつけてほとんど登山みたいなこと、よくやるよね・・・というのがこの旅の感想の一つです。
雨の中、琵琶湖北岸から西へ、湖の西の道を目指します。
ちなみに、
琵琶湖の西は湖西と書いて「こせい」、
浜名湖の西は湖西と書いて「こさい」
なんですね。
どちらも湖の東岸と比べると静かですが、何か面白いものがあります(ざっくりしたまとめ)。
さて琵琶湖の湖西、高島市の旅館に泊まります。
ビジネスホテルはほとんど無く、静かな湖畔を体現しています。
昭和の民家のような宿で、味わいがありました。
夕飯は、天ぷらメインでマグロの刺身とタコのサラダと蕎麦。
琵琶湖と関係ないと思いましたが、たっぷりタコのサラダが美味しかったです。
朝、旅館の窓からすぐに琵琶湖の岸が見えます。
天気が良ければ気持ちよかったに違いありません。
少し古くて静かな湖畔リゾートでした。
さて、そこから比叡山へ。
連休の混雑を予想したら、そうでもありませんでした。
そして比叡山と言えば日本で第一の霊場なので、ものものしいお寺がガンガン建っていると思ったら、そうでもありませんでした。
「山」であることが基本で、建屋は便宜上のもの、という発想が強いのかもしれません。
サクサク歩いたり車で移動して回りますが、現代の比叡山が強調しているのは
「日本で発生した仏教の宗祖は、ほとんど比叡山で修行してまっせ」
ということでした。
なるほど、宗祖が修行した場所は各宗派の人にとって聖蹟であり、それが集まっているのたから相当なパワースポットということになります。
ところで、比叡山には信長よりも鎌倉時代の新宗派よりも古くから、ゆるキャラならぬコワかわキャラがいました。
角大師くん。
比叡山中興の祖である良源(元三大師)が、自らの闘病の姿を弟子に描き取らせた絵がそのまま悪霊退散のキャラになりました。
比叡山から大津の街が見下ろせます。
予想よりも大都会でした。さすが琵琶湖畔の要衝です。
なにげに日吉大社のほうが元々比叡山の上にあったのですが、延暦寺を造るにあたって山の麓へと移したのです。
で、全国にある日吉神社の大もとなのです。
さらにそこは、比叡山を開いた張本人である最澄が生まれた街であるという、面白い因果なのか本人たちにとっては当然の流れだったのか、そんな巡りの場所です。
そこから琵琶湖岸を南下し、三井寺へ。
三井寺は、比叡山の喉元のような場所にあり、歴史の中で何度も比叡山と対立したりして、同じ天台宗だけれども別の派閥の祖となったお寺です。
飛鳥時代から戦国時代までちょいちょい歴史上の人物が絡んでいて、何度も焼き討ちにあったけど、今現在も大きなお寺として存在しています。
寺!神社!寺!
と、歴史の要衝を巡ったこの日、琵琶湖の南から京都も大阪もすっ飛ばし、堺へと向かいました。
寺でも神社でもない、太古の祈りの場所へ。
それは古墳です。
ちょっと字数が多くなったので(自分比)、堺の古墳は次回の記事にて。
福井縦断 初心者が日本史を学ぶコース
日本史を真面目に学ぼうと志したのは、このブログを始めた後でした。
そろそろ、興味を持ってから2年ぐらいになるんでしたっけ(知らんよね)。
まだ日本史初心者と名乗っているのは、やはり2年ぐらい興味を持ったところで入門の手前というか、アホでも分かるとか、2時間でおさらいとか、そういう書物しか読めないからです。
そんなわけで、実際にちょっと史跡をめぐって把握しようというのが2018年GW旅の動機でした。
現存12天守の中で最も古い様式!
砦のようなものを合わせると国内に3万とも言われる城郭の中で、江戸時代から現存しているのは12だけなのだそうです。
コンパクトで地味な役割のお城ですが、1576年に柴田勝家の甥が築城、その後いろいろ城主が代わって江戸時代に入ってもお家騒動とかあって、有馬氏が6代続いた後に明治維新。
さようでございますか。
代々の殿様は覚えられないけど、天守の上から眺めると、きっと豊かな実りの平野だったのだろうと思わせる街がありました。
お城のチケットに小粋な栞が付いてきます。
これなのよ、あたしずっと言ってるんだけど、こういう券はみんな栞の用途を考慮したものにすればいいのにって。
お次は永平寺です。
山深くに凝縮された禅スポットでした。
靴を脱いだら、渡り廊下でつながったたくさんの建屋に行けて、これほどお寺の建屋をたっぷり歩き回ったのは初めてでした。
日本史を意識し初めてから気がついたのですが、禅宗系のお寺はきちんと決まった(高くはない)拝観料を取り、見学者に施設を公開するお寺が多いですね。
山奥の限られた土地に様々な需要が発生したせいか、建屋の密度が高いのも永平寺の特徴だと思いました。
旅グルメは門前町の土産屋にて、黒ごまソフトです。
もうちょっとゴマゴマした食感と風味があってもよかったかな。
これはあっさりなめらか系でした。
からの、一乗谷です。
戦国時代のハイライトの一つである、朝倉氏滅亡の舞台です。
てっきり市街地になっていると思っていたのですが、完全に「遺跡」でした。
この日は雨が強くてのんびり見学できなかったのですが、当時の町並みを再現した場所はRPGぽくて面白かったです。
往時は細い谷にびっしりと一万人ほどが暮らしていたと聞き、人が住む場所の転変に驚きました。
谷を囲む山にはお城「一乗谷城」があったのですが、「さすがに無いわ」というくらい雨が強かったので断念しました。
城巡りの旅をしても、特に山城だと天気とスケジュールの兼ね合いがありますからね。
それも日本史を学び始めてから分かったことです。
福井県は「越前」というだけあって、京から山を越えた場所の悲喜こもごもが散在するエリアでした。
歩くほどに何かが出てくるに違いありません。
近江八幡に出現したもう一つの街
2018年5月連休の旅の思い出です。まだ綴り続けております。
近江八幡、この、昔日の残照と現代に息づく歴史を感じる街の響き。
早朝の散歩では、期待に違わぬ姿を見ることができました。
近江八幡は琵琶湖のほとりにあり、水運を利用した商業が発展した街なのですね。
かの安土城もほど近く、豊臣家が商業をバックアップし、近江商人発祥の地となりました。
琵琶湖の水運が必要なくなると、運河は消滅の危機に直面しましたが、美しい景色を残そうという志の方々によって救われました。
現在の街の規模はそれほど大きくないのですが、水辺の緑と静かな街に心が洗われます。
ところがですよ。
水郷の市街エリア「八幡堀」から少し離れたところにラ コリーナというお菓子の総合施設ができまして、ガイドブックを見ると必ず載っているのですね。
「バウムクーヘンが最近の名物なのか。いいじゃない、食べようじゃない」というノリで向かったらですね、数kmに渡る渋滞ゾーンでした。
ラ コリーナ渋滞だったのであります。
やっと施設へ踏み入れたら、えらいのんびりファンタジー世界だったのですが、
建屋の中はバウムクーヘンをはじめ、どの売場も長蛇が大渋滞状態で
「買おうかな、でも並んで時間かかるし」
なんて迷うことすら一瞬もなく諦めるレベルでした。
この静かな水郷の街に何が起きたのか。
検索したところ、近江八幡発祥のお菓子屋さん「たねや」が、この広いお菓子パーク(?)の全てを運営していることがわかりました。
自然と共生しながら、人々が集う場を提供する。
なんというか、伝統的な日本の風景とは全く違うのだけど、だからといって世界のどこでもない、そして確かに自然はそこにある、不思議な風景です。
そしておびただしい人がいる。
これが外側からの資本ではなく、地元のお店から発展し、なおかつ自然と共生を目指している事実に、安心をおぼえました。
正直もう、ラ コリーナは近江八幡の街そのものよりもデカいと思います。
近江商人の水郷の街にできたお菓子屋さんが発展して、もとの街を圧倒する規模の新しい世界を、新しいのだけど元の世界と共生するような世界を目指している、興味深いパターンに出会いました。
次に訪ねる機会があれば、バウムクーヘンは攻略したいものです。
おまけ:
市街地から少し離れた田園風景もまた美しかった。田んぼの中に池がたまにあります。
自販機の佇まいが思いがけず爽やかだったので撮ってみました。
ベタな鎌倉と背後の鎌倉 紫陽花散歩
週末は北鎌倉駅の改札すら出られないという話も聞いた紫陽花シーズンですが、平日なら大丈夫だと思ったんです。
2018年6月18日(金)、平日に休みを取れたので行ったのです。
甘かった。
改札は出られましたが、紫陽花で有名な明月院まで800mほどの道には行列が形成されかけていました。
なるほど、東京方面から来ても横浜からでも、藤沢や静岡方面から来ても、1日かけて鎌倉を巡るなら、午前10時くらいに北鎌倉からスタートしたいですよね。
行列にハマってもうた。
鎌倉検定3級を取り、平均的な観光客より少しは鎌倉を知っているという自信もついたワタクシが混雑にハマるとは・・・クッ
しかし北鎌倉で降りてしまったので予定変更もできず、明月院でございます。
こんな感じ
今年(本日?)のお地蔵様は淡いブルーでした。
数年前に来たときはカラフルゴージャスだった気がしますが、気分もあるわよね(誰の)。
明月院は全く悪くない、どころか鎌倉を勉強したら敬意を持って拝むべき鎌倉幕府ゆかりのお寺ですが、私は勝手にトホホな気分になって、人混みからの脱出を誓います。
鶴岡八幡宮・鎌倉駅方面へ向かわず、北鎌倉から住宅地〜ハイキングコースを辿って海へ向かってやる。
これが鎌倉検定3級の実力よ(違う)。
人混みから道路を1本渡っただけで、人影ゼロの静寂があるのが鎌倉です。
私だけの紫陽花・・・いや正確には近所の住民のだと思いますが、今見ているのは私1人よ。
タチアオイもシーズンインです。
人影まばらな道をてくてく
両側に紫陽花が咲いている長い階段にも人影はありません。
急に視界が開けて海が見えたり
紫陽花の向こうにバンブー
ただしハイキングコースには紫陽花はありませんでした。
タイワンリスさんお久しぶりです。
ハイキングコースを抜け再び一般道を南下します。
ちょっとまたベタな所に出ましたが、成就院から七里ヶ浜のショットです。
どうも、数年前に比べて紫陽花の数が減りましたね。
理由は不明ですが、近くを歩いていたおばさま方もそうおっしゃっていました。
少し歩いて、御霊神社前の写真スポットです。
下の写真中央にある踏切が有名で、実は写真の右の紫陽花の向こうにカメラを構えた人がたくさんいます。
私は江ノ電に乗らず歩きます。
長谷のお団子屋さんの紫陽花は、鎌倉らしいものでした。
さらに住宅地を、今度は東へ歩きます。
透明な桃紅茶おいしい。
こんな感じ
道路より高い斜面の真ん中に生えているのですが、やたら種類が豊富なので、誰かが意図的にそうしたのでしょう。
・・・たまたま今テレビで放映していた「もしもツアーズ」によると、ゴミが散乱していた道に美化のために植えたそうです。
各種の紫陽花は各地からの寄付によるものだそうです。
花の縁が丸まっているのは「おたふく」というのよ、と道行くおばさまの解説を聞きます。
突然変異から増殖したらしいです。へえ。
さて、永福寺跡まで来てしまったし、鎌倉駅は間違いなく混雑しているので、逗子へ抜けちゃいます。
浄明寺という、由緒あるお寺の名前を持つ高級そうな住所の住宅地を抜け、十二所へ。
さすが風情があります。
途中の久木大池公園付近の道路沿いに紫陽花あったよー。
写真ではわかりにくいですが、道路沿いの紫陽花の左側は急斜面で、その底に池があるのですね。
さて今回のお散歩グルメは、鎌倉市農協連即売所、通称レンバイの中にあるケーキ屋さんのシフォンケーキとフルーツケーキです。
シフォンケーキ(プレーン)、柔らかくて弾力もあって、玉子の優しい匂いが口いっぱいに広がり、フヒョフォフォと声が出そうになります。
シフォン力が爆発してました。
フルーツケーキはラム酒の香りがきいてやや固めの大人の味で、シフォンケーキとのコントラストが面白かったです。
名所もあるけど、普通の住宅地でも静謐の中に紫陽花の風情があるのが鎌倉です。
と、脱初心者のようなことを言ってみたくて歩きました。
実際に心が穏やかになる景色に出会えて、個人的には満足しております。
寿司、ラーメン、川、城、梅 紀州散歩しました
2018年5月連休の話をします。
写真を撮っておいて、あとから記憶と照合して楽しむ方式です。
和歌山市、ラーメン屋のテーブルに何か置いてあるんですよ。
開けたら、お寿司でした。
「早寿司」!
知らなかったのですが、和歌山のラーメン屋では一般的なスタイルらしいです。
ラーメンを待つ間に食べるのです。
もちろんいただきます。
ほどよい酢加減としっかり鯖の風味、お菓子とさえ言えるおいしさです。
もちろんラーメンも、豚骨と魚系の醤油スープが美味しい。
さて翌朝のお散歩ランは、紀の川を愛でる経路を設定しました。
雄大な川を渡って、別の橋から戻ってからの、
道の両側が川?地図でこんな地形を見つけたら走ってみたくなります。
わーい
朝食後は和歌山城に行っちゃうよ。
今でこそ鉄筋の復元天守があるだけですが、徳川御三家だった時代はそれはもう王国チックな城と城下町があったようです。
お城の下にある歴史館で復元CGの映像が見られます。
これを見るとお城を見る目も変わります。
そりゃあ殿様が来たら平伏したくなるわって感じの規模と美しさでした。
江戸の平和な時代の大きな国には、天守の美しさにこだわる殿様もいたことでしょう。
建屋は消失したけれど、石垣は残っているのでお庭を見ながら散策できます。
庭(現在)から石垣の高い段へ続く渡り廊下を歩けてしまうのも嬉しいところです。
天守や庭の眺望が楽しめる、江戸時代にはごく限られた人しか通れなかった廊下を、今では誰もが歩けます。
ほどよく梅の実もなっていました。
5月の晴天の下、お城の坂道を登り降りして一休みしたいときに、ちょうど良いお店があるではないですか。
やっぱ梅っしょ。
大粒で豊かな果肉、甘みと酸味と塩の加減、梅だけで1杯いただけてしまう存在感、そして冷たさと麺ののど越し、そりゃあ美味しくて家に帰ってからもマネするほどでした。
以上、記事の最初と最後に食べ物が配置されている、このブログには珍しいパターンでお送りしました。