読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

読むめし

口で咀嚼するたけでは足りず、観念でも食べ物を愛でようとする人間

元・日本史オンチが松江で見たもの

わたくし、歴史ファンはおろか、普通の人でさえ引くほど日本史オンチだったのです。


明智光秀石田三成を混同する。
 
・「加賀百万石」は何らかの誇張表現だと思っていた。
 
大阪冬の陣・夏の陣は誰かが戦国時代に戦った。
 
などなど、ほんの一部をお伝えしております。
 
従って、旅先で城跡を訪ねて、門の近くで説明を読んでも、「ふーん」という感想しかありませんでした。
地元愛から微熱を帯びる文章であっても、お城にまつわる登場人物を記憶できませんでした。
 
そんな私が去年(2015年)の秋から勉強を始めたきっかけは、静岡の旅でした。
(静岡の旅レポートは当ブログにございますが適当に流してください)
 
家康没後400年で盛り上がる2015年のと静岡を旅して、家康は意外と愛されていることが分かり、ベタに家康から日本史に入ろうとしたのです。
 
宝島のムック的な冊子を購入して読もうしたのですが、開始3ページほどで挫折しました。
関ヶ原の登場人物が多すぎて理解できなかったからです。
 
そこで知人より、司馬遼太郎の『関ヶ原』を読んでみよとのアドバイスを受けました。
これが面白かった。

 

関ヶ原(上)(新潮文庫)

関ヶ原(上)(新潮文庫)

 

 

 
2016年1月1日、年の始めの孤独なラン旅は家康と関ヶ原にちなんだ北関東の旅となりました。
(これも当ブログにありますが適当に)
 
家康が東北の上杉討伐へ向かう途中、宇都宮の手前で、三成が西から挙兵の報を受け、西に引き返して三成を討つことになりました。
 
名目的には三成のほうが官軍で、家康は賊軍ぽくなり、いよいよ西と東で大勢が二極化してきたけれど、宇都宮の手前まで家康に従軍してきた数々の諸侯たち、今後どちらに味方するかね?
 
という会議「小山評定」がありました。
 
東軍につくか西軍か、来たる会議で決めなければなりません。
 
迷える諸侯たちの中には、腹を括った人もいます。
 
堀尾忠氏、当時浜松の城主です。
家康が勝つと思うし、これまでのいきさつから考えても家康に味方するのが妥当な立場である。
負けたら無一文か死のみ、勝ったらどーんと得るためにはできるだけ大きく賭けよう。
 
じゃあ、これから西へ向かうなら必ず通るであろう浜松のお城と領地を、家康さんに全部あげちゃいます。
 
それを、会議「小山評定」の場で真っ先に発言するのだ。
 
秘策を胸に秘め・・・たはずが、その会議へ向かう道すがら、お隣の領地で気心知れた掛川の城主、山内一豊に喋っちゃうの。
 
すると、会議で最初に
「私の領地を献上します」
と山内さんが発言しちゃうのよね。
 
堀尾氏「えっ?えっ?いや僕も」
 
そうなると東海道上の諸侯たちは我も我もと続いて、東軍の勝利を近づけて行きました。
 
この功績により、関ヶ原の後に山内一豊は土佐一国をもいましたとさ。
この山内さんの話は、大河ドラマ功名が辻』で描かれたと思います(すみません、観ていませんでした)。
 
一方の堀尾さんはどうなったのか。
そこまで追いきれていませんでした。
 
ところで関ヶ原の戦いは、東西の諸侯ほとんど全員がその場にいるか、もしくは後方で関わっていて、その結果によって江戸時代三百年間ぐらいの領主の配置が決まり、ひいては明治以降の各地方を特色づけるものなんですね。
 
つまり、関ヶ原が分かれば地方が分かる。
 
関ヶ原でこういう活躍をしたから、この人はこのお城をもらった。
そういう視点でお城の解説が読めるようになりました。
 
さて、堀尾氏です。
 
先ほど登場した堀尾忠氏は、実は選手交代して間もなかった二代目です。
初代(?)の堀尾吉晴は、家康とほぼ同年に豊田市付近で生まれ、信長・秀吉・家康と戦国武将の主役たちを主軸に、協力したり敵対したり、離合集散しながら生き延びます。
素人目には地味ですが、戦国の真ん中でしたたかに活躍した武将のようです。
 
悲しいことに、家督を譲った直後の忠氏はその後早逝してしまい、幼い孫が残ったために、戦国を駆け抜けて引退したはずの堀尾吉晴さんは、再び治国の舞台に上がります。
 
堀尾さんを待っていた国とは、関ヶ原の功績で与えられた、松江でした。
f:id:baroclinic:20160525230655j:image
 
お城を訪ねるまで知りませんでした。
 
f:id:baroclinic:20160525230538j:image
 
あの堀尾さんがここに?!
 
となりました。
 
築城の指示を出しているらしい銅像の貌は、面長でやや骨張っていて、私の想像とよく一致します。(どこかに書かれていたのかもしれません)
それが、得意げな笑みを浮かべて棒を振るっていたのです。
f:id:baroclinic:20160526062529j:image
(写真では見づらいですが、右に堀尾さん、左にお城があります)
 
銅像を見て安心するような、嬉しい気持ちになったのは初めてでした。
 
ちなみにこの松江城、幕末の混乱も戦争も生き延び、現代まで天守閣が現存する貴重な国宝となっています。
f:id:baroclinic:20160526195814j:image
実は堀尾吉晴さん自身は、お城の完成目前で死んでしまうという、デキるのにとことん逃す人なのですが、笑みを浮かべてお城を向いている銅像から、地元の人に受け入れられ後世まで愛されたことが伺えます。
 
そんな銅像に出会った松江でした。