鎌倉で鎌倉末期と南北朝~観応の擾乱の史跡を訪ねる 4 (完)
2018年10月6日の鎌倉散歩、第4回にして結びとなります。
急に4回シリーズになってどうもすみません。
前回の記事はこちら↓
今回もこの時代の概要みたいなのを載せておきます。
--
3 南北朝
後醍醐天皇と足利尊氏がバリバリに対立し、南朝と北朝に分かれたのが1336年です。
こうして見るとこの時代、毎年のように何かが起きていますね。
しかし南北朝の時代は京都と奈良がホットです。
鎌倉はというと、足利氏が南朝の勢力を牽制するために、関東管領として有力な人材を配置する動きがありました。
その最たるのもが上杉家で、複数の上杉家に分かれ、鎌倉に住んだり関東に勢力を伸ばした結果、戦国時代の一大勢力になるのですね。
南北朝でなかなか混乱が収まらないうえに、今度は足利尊氏(with 執事の高師直)と弟の直義が対立してしまいます。
これがまた全国の勢力を巻き込んで戦闘が起こり、途中で高師直が殺害されますが、帰結として直義が敗北し鎌倉へ護送→死亡となります(1352年)。
浄妙寺に幽閉された直義は、ほどなくして病死と公式的には伝えられますが、毒殺だったのではないかというのが当時からの大方の見方でした。
この部分は何だか心臓をつままれるような気持ちになります。
5 南北朝の収束
1392年、足利尊氏の孫である足利義満がやっと、南朝を統合する形で南北朝の統一を果たします。
政治も文化も中心は京都となり、鎌倉は足利氏と上杉氏が治める土地になります。
かの江戸城を築いた太田道灌は、扇ガ谷の上杉氏に仕えた人でした。
鎌倉駅と北鎌倉駅の間にある英勝寺は、太田道灌の邸宅跡に作られたと言われています。
--
2018年10月6日の散歩では遅めのランチを、扇ガ谷の住所まであと数mの、鎌倉駅裏にあるソンベカフェでいただきました。
もっちりパッタイに野菜たっぷり、唐辛子と酢と砂糖がかけ放題ですよ。
鎌倉での食事は千円以上を想定していたのですが、オープンカフェでアジアンな食事を850円でできてよかったです。
さて今回のお散歩は、歩いた順番と関係なく時代順に書いてみました。
話は極力シンプルにしようとしたのですが、書いているうちに長くなり記事が4つになってしまいました。
吉川英治の小説『私本太平記』には、赤橋守時&登子、上杉憲房などの鎌倉方や、楠木正成、名和長年、北畠顕家など多彩なキャラクターが登場するので、まだ書いていないことはモリモリとあります。
ちなみになんと、吉川英治の『私本太平記』は、青空文庫で無料で読めてしまいます。
--
昔この辺りを行き来していた人々はいかめしい面々だったのだろうと想像しつつ、うららかな秋の日にアジアンなカフェから横須賀線を眺めるのは、なかなか不思議なひとときでした。