京都の難民
私が持っている京都の街のイメージをお伝えします。
神社仏閣は特殊な領域であって、それ以外の、普通の人々が生活する街は、京都であってもごく普通というかむしろ、きれいではない。
それは別に京都の人々のセンスが無いからだなんて、滅相もございません、建物の高さ制限や開発の制限などがあり、ご苦労が多いからと推察申し上げます。
それはそれとして、外部から来ると、飲み屋に悩んでしまうのも余所者の悩みです。
京都からイメージされる豆腐とか湯葉とか漬物とか、別に食べたいと思わないのです。
いや正直に言うと、安いなら喜ぶけど、払う気がしない額だったり。
あと、京都ですし、一見さんですし、急に入れませんし。
それならばチェーン店でも構わないのですが、せっかく来たならカジュアルかつローカルなセンを狙いたい。
先斗町はたぶん良かっのだろうけど、秋の連休なんかに行ってしまったら激混みでした。
とりあえず、完全にチェーン店だけど河原町三条近くの「はなの舞」に入ってみました。
ここは「はなの舞」なのだけど、実際にあった池田屋事件の跡地で、新撰組が尊王攘夷派を襲撃した場所なのですね。
階段の上にいるのは人形です。
惨劇の跡地でカジュアルに飲めるというノリは嫌いではないし京都ならではなのですが、如何せんメニューと料理が寂しかったです。
一瞬で食べてしまったけど、生麩の和風カプレーゼは良かった。
メニューが寂しかったので店を出て祇園まで行ってみたけど、祇園は祇園で街が大人すぎました。
スナックと、なんか高そうな大人のバーばかりで価格帯的に入る勇気がない。
結局河原町通りまで戻って、やっと地下にある小さな居酒屋に入ることができました。
スルメの天ぷらですって。
スルメが甘くて、カラッと揚がったやつに七味マヨ醤油をつけるの。
これがこの晩のヒットでした。
はあー、焼鳥。
こういうのを軽く食べたいがためにどれだけ街を彷徨い続けたことか。
鶏スジの塩胡椒焼ですって。食べたことなかった。
ナンコツ部分が肉に付いていて、かなりの噛みごたえですが、それがクセになるかも。
あと、違う店で池田屋の裏手のほうにあった鶏焼肉の店の鶏麻婆豆腐が美味しかったです。
時間が無くて、アツアツ激辛の麻婆豆腐を飲むように食べたのも新鮮な体験でした。
そんなこんなで、
・関東にもあるチェーン店には入りたくない
・ローカルでも内輪っぽい店には入れない
・「おばんざい」とやらが高い
・丁度良さそうな店は激混みで断られる
と、何も考えずに秋の連休に京都で飲もうとしたら艱難辛苦を味わった話をお伝えしました。
京都の街の人は
「なんでわざわざこんな時期に来るんだろう」
という雰囲気があり、こちらは
「混んでいるとは思ったけど、ここまでとは思わなかった」
というアホさで撃沈した状態です。
最後に、特別付録(?)として嵐山の渡月橋の写真を掲載します。
「そうだ、京都は平日行こう」
おしまい
ハーフバイキング形式のススメ 京都府亀岡市の宿にて
なるほど今まで考えつかなかったけれど、出現すると嬉しいものってありますね。
ハーフバイキングがそれでした。
すなわち、半分コースであと半分は好きなものを取ってきて好きなだけ食べられるものです。
里山の休日 烟河(けぶりかわ)
の夕食です。
こんな感じのスタートです。
お造りが出てきていよいよ調子付きます。
なんと飲み放題も付いて、日本酒の地酒のほかにビール、ワイン、ハイボールなども飲めます。時間制限90分ですが。
今まで、コース料理で様々な料理に様々な種類のお酒を合わせて試してみることはなかなかできませんでしたが、ここならできてしまいます。
鮭と野菜の朴葉味噌焼、これは日本酒でもビールでも、赤ワインでもいけちゃいます。
ボジョレーもあったよ。
ローストビーフはセオリー通り赤で行きましょう。
コースの締めは鴨肉とツミレ鍋。
日本酒でも白ワインでも。
ああ、締めのうどん、出汁が染みておいしかったのに写真に撮っていませんでした。
さあ、胃袋が空いていたらバイキングへの船出よ。
野菜のソテーがとても美味しかったです。
丹波地方の郷土食であるという、「ぼたん肉」の汁もありました。
やはり豚肉に近いのですが、豚肉よりも弾力があって、ハーブのような風味がしました。ハーブだったのかしら。
食後のデザートはフルーツとケーキを好きなだけどうぞ。
亀岡市ではわらび餅が何箇所かで見られました。
ここでいただいたわらび餅は、関東で食べるものよりも弾力がありました。
なぜかトレーの真ん中に日本酒がありますね。
というわけで、落ち着いてコース料理を食べられることと、お腹の空き具合に合わせて量を調節できるハーフバイキングは、かなりありがたいものでした。
いろいろな所で取り入れてほしいという願いを込めてこの記事を書いた次第です。
あっ、食べ放題のほうにあったカレー、翌日の朝でも食べられると思って夜はパスしたら、翌朝は無かった。
それだけが心残りでございます。てへ
中国製の食べるラー油「老干媽」シリーズを食べてみた
中国から来た「食べるラー油」、けっこうイケます。
きっかけは知人からのいただきものでしたが、美味しかったので横浜中華街へ行った際に探したところ、食料品店にはたいがい置いてあり、シリーズ製品が複数並んでいてテンションが上がりました。
今回は、私が知る限り横浜中華街で入手可能なシリーズ全種類を紹介します。
〈横浜中華街で入手できた老干媽(ローカンマ LAOGANMA)シリーズ一覧〉
1. 豚肉入
2. 鶏肉入
3. ピーナッツ入
4. ピーナッツ・豆腐・ザーサイ入
5. 豆鼓入
6. 牛肉と豆鼓入
7. 玉ねぎ
1.豚肉入
豚肉を干して細切りにした、やや固いものが入っています。肉だけど、お店の人いわく半年は持つそうです。
シリーズの中で最も花椒が効いています。花椒とは、簡単に言うと中国産の山椒で、山椒よりも辛いです。直接舌に触れると痺れるよ。ちょっとした爆弾みたいです。
↓クワッと四方に開いた花椒、強そう。
正直、豚肉は入ってなくてもよくない?とも思いますが、まあこれのおかげでラー油単体でも酒の肴になりますし、もやし炒めにかけるとタンパク質の追加にもなります。
2. 鶏肉入
わざわざパッケージの真ん中に「骨付き鶏肉」と書いてあり、骨付きってどういうこと?と思ったら、たまに人差し指の先ぐらいの塊がありました。コクを出すためなんですかね。
鶏肉はやはり干したものです。これも人差し指の先ぐらいの大きさで、食感と風味は唐揚げの赤身がやや硬くなった部分に似ています。というか、原理的にほとんどそのものかもしれません。従って、ラー油に漬かった唐揚げが入っていると考えることもできます。
尚、ベースの味は、豆鼓なし、花椒控えめで、もちろん鶏肉の風味があり、コクが豊かです。
3. ピーナッツ入
これが中華食べるラー油のスタンダードという感じがします。
日本の食べるラー油よりも花椒の風味が効いているけれど、痛いほどではありません。粒そのままのピーナッツのまろやかさが安心を与えてくれます。
シリーズ中で最も個性が無く、すなわちベーシックで汎用的であり、初めての人にはこれがおすすめです。
(写真が無くてすみません)
4. ピーナッツ・ザーサイ・豆腐入 "三味"
3つの具材ともクニュッとした歯ごたえです。大部分をこの3つが占めて、隙間を唐辛子とラー油が満たしています。
豆腐は凍り豆腐に近いです。中国の干し豆腐なのでしょうか。とにかくおなじみのあの生の豆腐とは違う食感です。そして、味が付いていません。ピーナツもナッツ感ではなく、クニュッとします。ザーサイが、これまたいつものではなくて、クニュッとするんです。おそらく一度干しています。やたら塩辛く、この瓶の中ではザーサイが塩味をもたらしています。
ところでもしかして、豆腐とピーナツとザーサイと、唐辛子と油って、1日に必要な栄養素が揃っているのではないでしょうか。ひょっとして完全食ってやつなのでは?
これを食べつつビールを飲んで日が暮れても大丈夫だったりして。
5. 豆鼓入
赤いラー油の中に黒くて柔らかい、お味噌の風味が詰まった豆がぎっしり入っています。辛い油味噌とでもいうのでしょうか、調味料としての統合性はピカイチです。日本の食べるラー油にはない、(他のもいろんな方向性で日本にはないけど)味の深みがあります。
ちなみに豆鼓とは、大豆を発酵させて塩を加えた中国の中国の食品もしくは調味料で、味噌に似ているっちゃ似ているけど、豆の固形分が明確なやつです。
「みそ味の黒くて柔らかい豆」と個人的には認識しております。
6. 牛肉と豆鼓入
蓋を開けた瞬間に、ギュッと煮詰めたような牛肉の匂いがきました。食べるとたしかにギュッとした風味があります。しかし、なかなか牛肉の姿は見つかりません。豆鼓や唐辛子の種ぐらいの大きさの牛肉片が入っていて、色や形が似ているので見つけにくいようです。
豆腐にかけたら肉味噌のような役割を十分に果たすでしょう。シリーズの中で、濃さNo.1です。
7. 玉ねぎ
香ばしい!甘い!美味い!ついついお菓子のように食べてしまいます。しっとりした食感ではなく、クリスピーです。大豆の粒も入っていて、意外にもこれがクリスピーで香ばしいのです。花椒も入ってはいるけれども、他に比べると控えめです。辛さも柔らかめで、スナック菓子のように食べ進んでしまう危険があります。
以上、横浜中華街で入手できたシリーズ全ての紹介でした。
あ、注意点があります。
蓋が固いです。
紹介した7個中、6個は金属のテコ式の蓋オープナーを使わなければ開きませんでした。
蓋オープナーは千円以下で買えるので、用意しておくと良いかもしれません。
あと、店舗によって価格が異なります。
こういう自由競争は私が中華街を好きな理由の一つです。
ここで紹介した商品はほとんど280~400円の範囲ですが、自分で歩いて好みのお店を見つけるのも散歩の醍醐味だと思います。
以上です。
岡山県高梁(たかはし)市の印象と、岡山県
予想よりも大きな街でした。
しかし正直、過去に栄えた感が濃かったです。
平日の午前中のアーケードは、スピーカーから流れてくるFM放送の現代風なロックナンバーだけが響いていました。
平日の日中、お年寄は小型車で移動するようです。
元城下町のため道幅が狭く、歩行者と車は常にギリギリですれ違います。
紺屋川沿いは美観地区とされていますが、歩行者は車を避けながらの移動になります。
まあ仕方ないのですが。
備中松山城の麓へ近づくと、武家屋敷の通りがあり、それらしい風景はありますが、やはり車は避けなければなりません。
もう一つ特徴的だったのは、川の堤防です。
白壁に瓦屋根?
この高梁の地は江戸時代、上流の山間部から川を使って運ばれてくる物資の中継地点だったと、近くの駐車場の案内板に書かれていました。
ここで荷物の積み替えをすることで、仕事が増えて賑わったということです。
古都の雰囲気が濃厚な街です。
が、私が歩いた範囲では、古民家カフェはおろか、ここ10年以内に新規開店したようなお店は全く見かけませんでした。
ただ一つ、駅ビルの図書館兼蔦屋書店 featuringスターバックスを除いては。
唐突に明るくモダンです。
ツタヤと図書館の在り方については賛否両論ありますが、この高梁の図書館兼書店は有ってよかったです。
これまで歩いて来た街の様子と店内は全く世界観が異なりますが、しかしガラスの向こうにその街が見え、図書コーナーには郷土資料があることでしょう。
倉敷市や岡山市から足を伸ばして、歴史に思いを馳せる週末なんてのもアリです。
ネコさん、稀に路地裏にいます。
色は似ているけど、違うネコ
てな訳で、岡山駅で在来線から新幹線に乗り換えて横浜へ戻ります。
岡山駅で瀬戸内のタコ飯弁当を買いました。
天ぷら、鯖塩焼、野菜の肉巻、青菜の胡麻和え、玉子焼、根菜の煮物など、和食がしみじみ美味しかったです。
そういえば、岡山を実際に訪ねてみて、
「お米たくさんできるでしょ?」
という感想を持ちました。
倉敷駅から岡山駅へ在来線(山陽本線)で移動する間、なみなみと水を湛えた水路がいくつも住宅の間を通り、線路もそれを渡って行きます。
昔は泥土だった所を、
「土は土!水は水!」
って分けたやつでは?
と、歴史に目覚めた者の脳で見つめました。
高梁川に沿って走る伯備線からも、川がうねった跡の水田を多く見ました。
川がゆったりうねりながら流れる周りの、
岡山の山は穏やかです。
ってちょっと早口言葉っぽくなりましたが、備中松山城のようなお城が成立したのも、このような地形からかもしれません。
以上、そんなことを考えた岡山の旅レポートでした。
備中松山城の麓の頼久寺の文化そして「ゆべし」
備中松山城の城下町である岡山県高梁市を歩いていたら、なかなか立派なお寺がありました。
なになに、足利尊氏が諸国に建てた安国寺の一つ。
足利尊氏・直義兄弟は、鎌倉幕府滅亡や建武の新政、南北著の争乱などで亡くなった人々を弔うために、全国に六十あまりのお寺を建てたことを、ネットで調べて知りました。
彼らってそんなに信心深かったっけ?
と思ったのですが、足利尊氏は夢窓疎石に出会っていたのですね。
夢窓疎石とは、お坊さんであり、臨済宗の巨匠であり、後醍醐天皇から「国師」の称号を与えられた、鎌倉検定必出の最重要人物です。
鎌倉では、瑞泉寺の庭園を設計しています。
この岡山のお寺は建立後、途中でやや寂れましたが、上野頼久という人が中興の祖となり、その人にちなんで「頼久寺(らいきゅうじ)」とが寺号となりました。
そんで、江戸時代の初頭にここに住み、現代まで続く庭を作ったのは小堀遠州なのですね。
小堀遠州って、昔の文化人かな?
ぐらいの認識しかありませんでしたが、安土桃山時代から江戸時代にかけての茶人、建築家、作庭家、書家にして、なおかつこの備中松山の藩主でした!Wikipediaより。
その小堀遠州が直々に居住かつ設計した枯山水の庭を、平日だったので独り占めできました。
貸切り状態ってやつです。
小堀遠州プロデュースとか、ちょっと名前を貸して監修にしたとかではなく、実際に住んで、自分が納得するように作った庭ッス。
ここでふと、文化の流れを考えてみました。
鎌倉時代に東国へと政治の中心が移り、足利氏も東国の武士であったが、鎌倉幕府が倒れるに及び、京都に中心を戻すことになった。
→東国武士の、京都の文化への憧れ
→武家が公家を取り込む必要性
この2点から室町文化が発展したのではないか?
そしてそれは、鎌倉武士が支持した禅宗と京文化の融合だったのでは?
って、山川の日本史の教科書を確認したところ、東アジアとの交易が活発になったことと、惣村と都市の民衆の生活レベルが上がったことが挙げられていました。
いずれ、公家、武家、庶民が同様なものを愛好して文化が洗練されて行ったと。なるほど。
室町時代に形成されたワビサビの文化は、戦国時代になるとサムライの趣味や哲学となり、混乱の世が煮詰まって江戸時代に至り、小堀遠州が一つの集大成となった −
と、この頼久寺にて、私のイメージの中では、夢窓疎石から小堀遠州への流れがつながりました。
そして小堀遠州、この地方の柚子を使った「ゆべし」まで考案しちゃったね。
現代でもお土産として売られています。
くるみゆべしを食べ慣れている身としては、柑橘風味があると食感と相まってガムみたいだと正直思いましたが慣れると程よくお腹にたまります。歴史の流れの一部として食べ物を身体に摂り込めたのは意義深いことである。
食べ物ブログとしてここまでやってきて、これほど歴史・文化と散歩と食べ物がつながったのは初めてかもしれません。