読むめし

口で咀嚼するたけでは足りず、観念でも食べ物を愛でようとする人間

吉野ヶ里。遺跡で公園で歩く歩く

佐賀県だったのですね。

吉野ヶ里遺跡の名が全国に轟いたのは、1989年のことでした。

有名になる前のこの場所は、

1970年代: 農地や宅地を作ろうと土を掘ったら何か出た。
1980年代: 工業団地を開発しようと調査したら、かなりいろいろ出てきた。

という状況だったようです。
Wikipediaを参照しつつ簡略化いたしました。

1970年代の東北に生まれた者としては、吉野ヶ里遺跡の名は何となくニュースで流れていて、西日本のどこかで太古のロマン的なのがあるんだろうなあ、という程度の受け取り方でした。

それが突如眼前にというか、地図上の行く手に現れたので入ってみたら予想よりずっと大きいし面白かったという話です。

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弥生時代に、米を作るために定住すると、分業したほうが効率よくね?ってことで、いくつかのファミリーがまとまって住むようになります。

さらにファミリー集団(?)が統合されて、共同で柵とか見張台を作ると安心だねってことで、集落がたぶんできました。

それが、教科書を読むだけでなく、博物館で展示を見るだけでなく、自分の足で集落そのものの中を歩けてしまうのです。

復元テーマパークではなく、いやさすがに建物は全部復元なのですが、実際に遥か昔に存在した村の中を歩くパークなのです。

竪穴式住居の中にも入れてしまいます。

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竪穴式住居の中でお弁当とか食べても良いらしいですよ。

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高床式倉庫!
竪穴式住居!
環濠集落!

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教科書では、縄文時代弥生時代ってワクワクするのに一瞬で終わってしまうじゃないですか。

地方の歴史博物館でも、たいていほんの序盤で終わってしまうじゃないですか。

それが、ここに来ると丸々弥生時代なのです。

全ての集落や建屋を見て回るにはかなりの歩行が必要です。7,8kmは歩けるかもしれません。

(あ、たぶん園内を走るのはイケてない感じですので、歩きます。)

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石棺!

ドングリ形の素焼きの土器に、亡骸を入れたやつがドンドコ出土したのですね。
さすがに今は中身は入っていませんが。

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ところで、邪馬台国の所在というのは日本古代史のミステリーで、この吉野ヶ里も候補の一つではありますが、確証が無いため園内では触れられていません。私が見た限りでは。

しかし、古代の空気感が等身大で伝わるので、自分なりに想像を広げられる場所です。

国家や工業が発展し、近現代に近づくにつれて個人の感覚から離れた規模になります。

しかし弥生時代の集落は数名単位の分業とか、木や石を使ったツールなど、「こうしたら便利になるよね」という発想が等身大でできるのが楽しいところです。

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あっ、また食べ物ちゃんと食べなかった。
今度はお米のお弁当持って行こう。

長崎・平戸。玄関にして果ての街


長崎市を訪ねる人は多いけれど、平戸へ行く人はどれくらいいるのでしょう。

で調べたところ、2015年の各自治体の統計は
長崎市 669万人
平戸市 178万人
でした。

うーん、4倍弱で、思ったより差はなかった。

長崎から平戸までは 100kmあり、直接つなぐ鉄道はありません。

時間に余裕のあるリタイア世代や休日ゆったり派が訪ねられる場所になってきているとしたら、嬉しいことです。

平戸は、九州の北西の縁にあり、九州の内側から見ると端っこなのだけど、海から見たら玄関口だったんですよね。

だから、陸を辿って向かうと最果てのような場所に、妙に密度の高い街が出現することになります。

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入江と城と教会と。
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そそりまくるエキゾチシズムです。
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坂の奥にはザビエルの教会があります。

この街は、松浦さんという人が、戦国時代よりもずっと前、平安の頃から治めていて、関ヶ原も越えて江戸時代も領主だったのです。
天然の要害かつ便利な港だったことも理由の一つでしょう。

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松浦さんのお屋敷かっこいい。
所蔵品の博物館になっています。
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お屋敷から街が見下ろせます。

そして、平戸を有名にしたのは何と言ってもポルトガルとオランダ船の寄港です。

大航海時代の彼らが、東の果ての日本にやって来たんだよ。

東日本に暮らしているとピンとこないけど、16世紀に松浦さんとか大航海時代の突端に居たんです。

でも、江戸時代が来て鎖国して、貿易できるのは長崎の出島だけになってしまったのですよね。

それからゆっくりと、平戸は静かな街になって行ったのでしょう。

さて、長崎です。

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出島イエーイ
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往時を偲ぶ再現イエー
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細長い長崎湾の対岸から市街地を見下ろせる、稲佐山に登ってみました。
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見事に長崎の湾と、湾の向こうにグラバー邸とか有名なやつがいろいろ見えるスポットでした。

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見て見て。
肉眼では難しいけど、沖合の軍艦島が、カメラのズームで見えました。
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長崎は、地図を見ていると、船を作らざるを得ない場所だなあと思います。

自動車がない時代に、複雑に入り組んだ海と半島の突端で、別の街に用事があったらほとんど船一択と思われます。

鎖国時代の唯一の窓で、開国したら船をガンガン作る知識と、船を泊めておける地形が揃っていて、その後に陸運の時代になったらそれはそれで他の街とつながって、発展した陽気な街に見えました。

長崎は今日も雨だった」なんて言っても、どこか諦念と彷徨う楽しさがあるような。

いえ、この日、長崎は晴れ、平戸は雨でしたけど、深い湾の地形はどちらも心地良く、日本の歴史と私の心に入り込むのです。

って結び、なんか照れる。

あっ、食べ物ちゃんと食べてなくてすみません。

熊本。清正さまへの愛を街が叫んでいる。

はい、5月に熊本を訪ねました。

お城へ行かねばなるまい。

2016年の地震で大きく損壊した熊本城ですが、近付けば何かは見えるに違いないとアプローチします。

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たしかに壊れている。

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想像していたよりもあちこちが損傷し、ほとんど遠巻きにしか見ることができません。

しかしそれでも、お城の規模の大きさはよく分かります。
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こんなだだっ広い広場も、お城の内側なのです。

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広場から空堀を隔てて遥かに本丸が見えます。

世界にはピラミッドとか万里の長城とかありますけど、比肩する規模ではないかと思ったぐらいです。どちらにも行ったことないけど。

お城の規模にも驚いたのですが、それを甦らせようとする人々の気持ちを強く感じました。

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損壊を免れたためなのか、お城の真ん中あたりにあると思われる加藤神社には入ることができます。

訪れる人の願いはひとつ。

だと思いますよ?

言っちゃいますけど私、勢いで神社の募金箱に千円札を入れましたからね。
いや勢いではない、今でも千円は入れて当然だと思っております。

ちなみにその近くにあった御賽銭には5円です。

神様(つまりここでは加藤さん)ごめん?!

今さらですが、熊本城って、加藤清正っていう人がだいたい作ったんですよね。

その前にも多少の砦みたいなのはあったっぽいのですが、ザ・戦国時代に、秀吉が熊本のあたりを制圧して、「しっかり押さえとこうぜ」ってことで優秀な部下の清正を配置したら、城も街も作る作る。治水もバッチリで農民うるおう。

「清正様ありがとうー!」
という気持ちが現代まで伝わります。

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こちらがお城の近くにある清正様の銅像になります。
お城を作る指揮をする姿だそうです。

武将としてめっちゃ強くて、さらに城も作れて治水もできるとか、人間としてどんな仕組みなんだろうって、このブログで去年の5月に松江の堀尾さんの時も考えたかもしれないけど、本当にどういうことなんでしょうね。

今や人口70万人以上に発展した熊本の街では、からしれんこんをいただくでしょう。
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江戸時代、お城の料理人が殿様のために作ってみたら
「ウマーー!」
ったことになったらしいです。

ウマといえば
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馬刺もいただきますよね。

熊本の馬刺は、清正様が食糧難のときに馬を食べたのが始まりという説があります。

地震があってお城が損壊して意気消沈しているかと思いきや、昔からの名物料理が現代まで美味しく、熊本はバリバリにエネルギッシュな場所でした。

ちなみに6月24日は、清正のお誕生日かつ命日なのだそうです。

鹿児島、この星の活動の果てに

2017年5月に旅した九州シリーズです。
今回は鹿児島のレポートです。

いきなり桜島が噴火したようです。
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いやあ、灰が降ってるんだけど?
鹿児島の人ってすごいね。こんなに灰が降る所で生活してるの?

まさに桜島の縁を移動しているときに降ってきて、「なんじゃこりゃあ」となりました。
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道の駅に立っていた銅像が手のひらを上に向けて立っており、まるで灰を受け取るような、「なんじゃこりゃあ」ポーズでした。

桜島からフェリーで鹿児島市内へ渡ると、街の人々は灰を避けるために傘を差していました。

すごいぞ鹿児島、と思ったら、どうもその日の朝に噴火が始まったというネットニュースを目にしました。

これは、大変なことなのか?
それとも日常なのか?

旅の者には分かりません。

次第に、街の雰囲気やネットニュースの扱いを総合的に見て、この降灰は
「いつもではなく、まあまあ久しぶり」
程度のものだと理解してきました。

年によっても(山にとっては年とか関係ないけど)活動量は大きく違うようです。

降灰も止みかけた街へ飲みに出かけますよ。

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錦江湾を中心に九州近海で獲れた魚の刺盛をいただきます。

やっぱり鯛の種類が豊富で美味しい。
これよこれ。

皮が硬くて噛みごたえがある鯛も、それが特徴ということで、関東ではなかなかお目にかかれません。

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豚足にも果敢に挑戦。
たしかにこれは焼酎じゃないと合いません。

地元の銘柄をの焼酎を頼みましたが、やっぱり芋焼酎の区別はつきませんけど、いいんです。


翌朝は、鹿児島市からさらに薩摩半島を南下して開聞岳を見ました。

鹿児島市が九州の南端のイメージだったけど、実際に行くとまだまだ先があるもんです。
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思いがけないほど美しいフォルム、これはもう薩摩富士としか呼びようがない。
と思ったら、やっぱり呼ばれているよね。そりゃそうだよね。

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観光客もそこそこいる良い景色です。

そこから西の、枕崎へ行ってみます。
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JR線の終点、枕崎です。
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線路が途切れている場所で最果てを実感できます。

ここは鰹が獲れる街なのだそうです。

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街の中で食べた鰹ラーメンは、あっさり透きとおったやさしいスープに、鰹の漬けスライスが乗ったものでした。
写真では具材の下になっていてすみません。

港近くの物産館のような所では、お手軽な鰹の肴が入手できます。
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鰹の削り身と白子のパウチ、焼酎に合わない訳がありません。

地球の力と最果てと風景と、芋焼酎とグルメの鹿児島でした。

焼酎。それは九州

お腹の風邪の回復状況を見守っていたら、また時が経ってしまいました。
いよいよ梅雨に入って、夏を待つばかりとなって参りました。

先月(2017年5月)のことになってしまいましてが、連休は主に九州を旅しておりました。

自分にとっての新しい体験は、焼酎でした。

お酒が好きみたいな話をブログではしていますが、実はビール、ワイン、日本酒と、醸造酒が専門でした。

お酒は大きく醸造酒と蒸留酒に分けられ、
醸造酒とは、果物や穀物が液体の中で発酵してできたアルコール飲料
蒸留酒とは、醸造してできたアルコールをさらに蒸留したものです。

したがって、アルコールをさらに凝集する蒸留酒のほうが、よほどアルコール度数が高いです。

世の中には様々な体質の人がいますが、私は蒸留酒に弱いらしく、飲むとすぐ具合が悪くなります。

しかし、九州といえば焼酎じゃないですか。
食べ物も、焼酎に合わせているに違いない。

という訳で、おそるおそる挑戦です。
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わかったこと: ロックなら飲める。

ちびちびと冷たい液体を舐めます。
写真は宮崎市内のカジュアル居酒屋にて飲んだ、宮崎の芋焼酎です。

居酒屋の壁に焼酎の銘柄と酒造の場所がカラフルな地図で載っていたのですが、撮り忘れました。無念

日本酒のワビサビな白黒パッケージに対して、焼酎のラベルのブルーや赤の鮮やかさ・明るさって愉快ですね。

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宮崎に来たので、ベタにチキン南蛮です。
お客さんの大半が注文しており、なるほど衣が程良い酸味のタレに浸っていて、タルタルは惜しげなく乗り、チキンは胸で脂身は無く、しかしとても柔らかいのが良かったです。


宮崎県では、爆発的大ヒット焼酎の製造元「霧島酒造」にも寄りました。

霧島は鹿児島のイメージがあったのですが、宮崎県にもまたがっており、霧島酒造は宮崎県の都城市にあるのですね。

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霧島酒造で焼酎ソフト食べたよ。

すっきり目のミルクに、モアっと香る焼酎を混ぜて、すぐ溶けるので飲むようにいただきます。

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霧島酒造で専用グラス買ったよー。

焼酎の初心者なので、蔵元のグラスなら間違いないだろうと。
たぶん何の変哲もない、300円ほどのグラスですが、氷をザクザク入れて飲もう。

というわけで、焼酎に馴染むというテーマを掲げた九州旅でした。

(自分にとっての)焼酎の利点: 量が飲めないので、酒代が浮く。

焼酎の感想: 
 芋焼酎は芋の味がしない。
 アルコールを抽出した感がある。
 今のところ、どの銘柄も同じ味です・・・すみません。