長崎・平戸。玄関にして果ての街
で調べたところ、2015年の各自治体の統計は
長崎市 669万人
平戸市 178万人
でした。
うーん、4倍弱で、思ったより差はなかった。
長崎から平戸までは 100kmあり、直接つなぐ鉄道はありません。
時間に余裕のあるリタイア世代や休日ゆったり派が訪ねられる場所になってきているとしたら、嬉しいことです。
平戸は、九州の北西の縁にあり、九州の内側から見ると端っこなのだけど、海から見たら玄関口だったんですよね。
だから、陸を辿って向かうと最果てのような場所に、妙に密度の高い街が出現することになります。
入江と城と教会と。
そそりまくるエキゾチシズムです。
坂の奥にはザビエルの教会があります。
天然の要害かつ便利な港だったことも理由の一つでしょう。
松浦さんのお屋敷かっこいい。
所蔵品の博物館になっています。
お屋敷から街が見下ろせます。
そして、平戸を有名にしたのは何と言ってもポルトガルとオランダ船の寄港です。
大航海時代の彼らが、東の果ての日本にやって来たんだよ。
東日本に暮らしているとピンとこないけど、16世紀に松浦さんとか大航海時代の突端に居たんです。
でも、江戸時代が来て鎖国して、貿易できるのは長崎の出島だけになってしまったのですよね。
それからゆっくりと、平戸は静かな街になって行ったのでしょう。
さて、長崎です。
出島イエーイ
往時を偲ぶ再現イエー
細長い長崎湾の対岸から市街地を見下ろせる、稲佐山に登ってみました。
見事に長崎の湾と、湾の向こうにグラバー邸とか有名なやつがいろいろ見えるスポットでした。
見て見て。
肉眼では難しいけど、沖合の軍艦島が、カメラのズームで見えました。
長崎は、地図を見ていると、船を作らざるを得ない場所だなあと思います。
自動車がない時代に、複雑に入り組んだ海と半島の突端で、別の街に用事があったらほとんど船一択と思われます。
鎖国時代の唯一の窓で、開国したら船をガンガン作る知識と、船を泊めておける地形が揃っていて、その後に陸運の時代になったらそれはそれで他の街とつながって、発展した陽気な街に見えました。
「長崎は今日も雨だった」なんて言っても、どこか諦念と彷徨う楽しさがあるような。
いえ、この日、長崎は晴れ、平戸は雨でしたけど、深い湾の地形はどちらも心地良く、日本の歴史と私の心に入り込むのです。
って結び、なんか照れる。
あっ、食べ物ちゃんと食べてなくてすみません。