18きっぷで静岡の旅 浜松城だよ全員集合の巻
9月7日(月)、思い切り寝坊しました。9:15でした。
上の写真は、区役所から浜松城の天守閣を望んだところです。手前の暗い部分は地下駐車場で、近代的な風景とのギャップがなかなか良いです。
天守閣は、1958年に再建されたものです。
詳しい人から見ると様々な違いはあるのかもしれませんが、私から見るとスタンダード(笑)な城に見えます。
特に、お堀の配置が奇妙で真ん中が広く平べったい駿府城に比べると、浜松城は高い場所に天守閣があり、その周りに曲輪や見張りの櫓があって、あれですかね、一通りの城主経験者(?)なら使いやすい仕様でしょうか。
(天守閣から門と市街地を見たところ)
浜松城を作った人は諸説ありますが、ざっくり今川系かなってところみたいです。
家康も戦国時代真っ只中の青年期に17年間ここの城主となっており、今や浜松のゆるキャラとして活躍なさっています。
浜松城は出世城とも呼ばれ、それは天下を取った家康公は言わずもがな、歴代の城主もステップアップして偉くなったからなのだそうです。
なんとなく、それは偶然ではなく、浜名湖と海に囲まれた要衝であり、その浜名湖で獲れる湖の幸や太平洋の海の幸、さらには天竜川もあり山も平地もあるという恵まれた場所で実績が出しやすかったのかなあと思います。
で、領民たちも昔から創意工夫でやってきて、1人あたまの生産性が高かった気がします、なんとなく。
大都会・浜松の真ん中のお城に小動物がいたよ。
よく見るとややオッサン顔でした。何の動物でしょうね。
戦いに明け暮れた青年期の家康も治めた街・浜松。
80万都市・浜松と、70万都市・静岡 (この人口は、両市ともに周囲の市町村を合併しまくった結果で、静岡県の覇を競っている観があります)はどちらも家康公を街のシンボルとして掲げており、その愛されぶりを見ていよいよ私も日本史に興味を持とうかという局面でございます。
交通の要衝で産業が盛んで、青年期の戦いの渦中に家康が居た浜松が「動」、いよいよ本当に天下を手中にしようという時と、取った後に堅牢な場所として家康が居た行政府の静岡を「静」として対比する視点なんてどうかしら、そういう話はもうあるのかしら。
そういう視点は見つからなかったけれど、静岡 vs 浜松に興味のある方はこちらもどうぞ。
http://wiki.chakuriki.net/sp/index.php/静岡vs浜松
そんなことを考えながらの静岡ゆっくり旅でした。
朝寝坊して急いだけど。