読むめし

口で咀嚼するたけでは足りず、観念でも食べ物を愛でようとする人間

おせちに飽きたら何食べたい?

はい、少し遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。

 
わたくし、実家へは帰らず、横浜でひとり年を越しました。
 
恥ずかしながら実家からおせち風の惣菜が送られてきたため、
「12月31日から1月2日は食料品を買わない」
と決め、日本の伝統に則って正月はおせち世界に居ました。
 
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(おしるこの写真しか撮ってなかった)
 
3日間食料品を買わず、日本の食文化に親しんでいると、他のものへの欲求が湧いてきます。
 
おせちに飽きたら何を食べたい?
ちょうどいいアンケート記事がありました:
 
 
第1位はカレーだそうです。
(言っちゃった、テヘ)
 
昔「おせちに飽きたらカレーもね☆」なんてCMがあり、当時はそりゃあカレー売ってる所なんだからそう言うわな程度に思っていましたが、なにげに真なんですね。
 
ところでわたくし、元日から横浜散歩をしました。
 
伊勢佐木町へ行くと、意外と元日の昼からお店が開いていました。
 
<伊勢佐木モールで1月1日に開いていた店>
*チェーン店のみ挙げました。私が認識できた限りの店ですので、載っていなくても開いていたケースもあると思われます。順不同
 
マクドナルド
とんかつ松乃屋
海鮮三崎港
てんや
ガスト
鳥良商店
 
どの店にもそれなりに客が入っていました。
 
マクドナルドにもファミリーやご高齢カップが多数いました。
 
もしかして、おせちに飽きるスパンが、2日3日ではなくて、10年単位ぐらいになってしまったのでしょうか。
 
・・・おそらく、そうなのです、
「別におせち食べなくてもいいじゃん」
という時代がすでに来ていたようです。
 
そもそもおせちって、年末年始は寒かったり雪深かったりするし市場も休みになるから、保存食を各家庭で作って年を越すという役割もあったのですよね。
 
その制約が少なくなれば、ハッピーニューイヤーで好きなものを食べるのもアリでしょう。
 
なんてことを考えつつ、伊勢佐木町から中華街へ行ってみたところ、予想を遥かに超えた賑わいでした。
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人出で言うと、連休モードです。
 
どうやら、年末年始を連休と受け止めて、旅行する人の需要を取り込んでいるようです。
店は9割がた開いていました。
 
元日から余裕で中華料理食べられるッス。
 
というわけで、年末年始の多様化を思いがけず目撃した元日散歩となりました。
 
 
 

製麺機をもらってしまった

麺を作る装置を「製麺機」と表記するか「製麺器」とするか、それはこの記事のテーマになり得るので考えながら進めます。

 
って、ネットで製品を見たら「機」のほうでした。
というか「ヌードルメーカー」がメジャーな呼び方のようです。おっす。
 
だって、作り方が非常にシンプルで驚いたんですよ。
 
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上蓋を開けて、粉を直接バサッと投入します。
 
それから、スイッチオンして塩少々と水を投入。
 
こねこねが始まります。
 
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5分待つと、勝手にモリモリ生地が押し出されてきます。
 
たったこれだけでできるの?!
という驚きは未だに去りません。
 
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上の写真は餃子用シートが押し出されているところです。
 
スパゲッティなどだと麺がニュルニュル出てきます。
 
ギューッと生地を押し出す口の形状と材料の組み合わせによって、麺のバリエーションができます。
 
(いただいた製麺機はPHILIPSのHR2365/01で、餃子シート用の口は別売オプションでした。Amazonで購入)
 
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餃子シートを短冊状に切って茹でたらできたよ、何か知らんものが。
 
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パクチーとネギと、食べるラー油をかけたら、何か知らん自家製麺の出来上がりです。
 
コシがある麺とエスニックの組み合わせ、巷では見かけたことがありません。
 
自家製ならではの一皿ができたと自画自賛です。
 
と、ついつい食べに走って料理の紹介をしてしまいましたが、製麺機の機構のシンプルさに感心してしまったという話をしていたのでした。
 
基本的に、粉と水を攪拌する羽と、こねた生地を押し出すためのスクリューが一つになっている棒がひたすら回っているだけです。
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この回転部分に電子制御はありません・・・たぶん。
水分量とか攪拌具合など知ったこっちゃねえ。
回る速さも方向も変わらず、愚直に金属の棒が回ります。
 
電子制御は、棒が回り続ける時間を設定したタイマーだけだと思います。
 
日本人が作ったら、センサーを数個付けて、生地の状態によって攪拌器の動きを変えちゃうんだろうなあ。
 
どちらが良いという訳でもないけれど、これまで日本製の家電ばかり買ってきた世代から見ると、このシンプルさは新鮮でした。
 
使った後の洗い方も、毎回ネジを手で外して部品を分解して一つ一つ洗うという、考え方としてはシンプルな方法でした。
 
洗うのが面倒くさいって?
製麺機であえて麺を作ること自体、既に利便性は求めていないので、悠長に構えて良いのではないでしょうか。
 
(ちなみに機械に貼り付いた生地は、放置きて乾燥させたほうが取れやすくなります。)
 
「製麺機」か「製麺器」か、言葉自体に明確な線引きは無いけれど、限りなく「器」に近い、すなわちシンプルなスタンスに触れた今日このごろでした。
 

熊野の夜と朝と昼

行ってきました紀伊半島シリーズ、第3回にして完結編です。

例によって前の記事を読んでいなくても関係ない記事となります。

今回は、食べたものや見たものをひたすら写真でご紹介します。

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熊野市の宿のお料理は、秋の恵みで始まります。
栗、芋、豆、それから鮎のヘシコなど。
山も川も神話の世代のように一体よ。

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上は秋刀魚、下は梅のように見えて、トマトのご飯です。
酸味があって、秋刀魚の塩と脂と絶妙なコンビネーションでした。

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透明感のある刺盛、右手前は太刀魚です。
ミカンのタレもアクセントです。

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豚味噌焼とキノコ焼いたやつ。
濃縮した秋の野趣あり。

そうして宿の夜は更けて
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朝も朝からお魚焼いちゃうよ。
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ミカンとお茶とヨーグルト、そんな組み合わせの和洋折衷・朝バージョンです。
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そう、ここは和歌山。

ということで、熊野古道を少しだけ歩きました。
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熊野古道は、紀伊半島の全般に渡って網の目のように、いや網は言い過ぎだな、網よりは低い密度で存在するものだったのですね。

一本の道が数十〜百数十kmに及ぶなんて、ゆっくり来たらトレイル散歩のおかわりし放題じゃないですか。

今回は初心者コースで、那智の滝那智大社の周辺をウロウロする数km散歩です。

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わーい、那智の滝、下の方に虹が出ていたよ。
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滝が神というのも分かる気がしました。

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道をずんずん歩きます。

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山の中だとばかり思っていたら、遥か向こうに海も見えました。

これが熊野の特徴的なところかもしれません。

海から少しでも山に入ると、そこはもう山の世界で、海の要素が感じられなくなってしまう。
と、司馬遼太郎がどこかで書いていて、なるほどと思いました。

お昼は肉うどんと「めはり寿司」です。
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めはり寿司とは、熊野から吉野あたりにかけての郷土料理で、高菜の浅漬でおにぎりを包んだものです。

つまり海苔の代わりに高菜を使った形となり、野菜の充実感があります。

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めはり寿司の中身のご飯は様々なバリエーションがあります。

那智のお土産屋さんに併設の小さな食堂で食べたのは、みじん切りの菜っ葉を酢飯に混ぜためはり寿司でした。
おいしい。

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デザートは、黒飴ソフトの黒蜜がけです。

黒飴も黒蜜も元々砂糖なので、ご当地ソフトの中ではだいぶ無難な味ではありますが、香ばしさが特徴的でした。

那智黒飴は、熊野地方で取れる黒石で作られた碁石を模した名物です。
なるほど、昔の人のナイスなアイデアです。

さて、食べるだけ食べて、美味しい所どりの今回でしたが、次に来たら熊野トレイルをガシガシ歩くことでしょう。

でかいよ高野山

この記事は、日程的には前回の続きですが、特に前回を読まなくても構わないように書きます。

和歌山県九度山に前泊して、高野山へ向かいました。

九度山になんとなく泊まって、「なんか近くにあるから」という発想で向かったのは申し訳なかったです。

1日かけても回れないお寺なんて想像つかないものでした。

高野山って、写真や地図を見ると建物がたくさんあるから、山の上とは言えアクセス容易だと思うじゃないですか。

ところが、道幅が狭くて車のすれ違いが難しい箇所もけっこうある、曲がりくねった山道を登る系でした。

山の上に突如、巨大なお寺っぽい建造物の数々と観光客の世界が現れる新しいパターンでした。
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上の写真の左下の石の台の上に小さく人が写っていて、つい脳内で遠近法の修正をしてしまうのですが、そういう修正をしてしまうほどスケール感がおかしい。

地元の人にとっては当たり前のことがいろいろあるのかもしれません。

前日に九度山の居酒屋で店長とその仲間たち(客)が
「えっ高野山にさらっと立ち寄って帰る予定なの?無理無理。てか今回はほんのさわりだけで、次回とかその次でちゃんと見ればいいよ」
と言っていたノリが思い出されます。

おそらく小学校の遠足で行ったり、遠くから知り合いが訪ねてきたときに案内するのではないでしょうか、見どころが次々に紹介されます。

「まず門が、デカい」

奥の院に、重い石を持ち上げるやつがあって、心が清くないと持ち上がらないと言われている」

「井戸を除き込んで、もし自分の姿が映らなかったら不幸が起こると言われている」

「お地蔵さんがたくさん並んでいて、一体ずつ水をかけて拝む」

と、次々にアトラクションが挙がります。

ガイドブックを持っていなかったのですが、おかげで上記のアトラクションは全てこなせました。
(私は重い石を持ち上げられませんでしたが)

その中でも「さわりだけ」と言われた初心者の見どころは、奥の院だと思います。

奥の院は、名だたる戦国大名のお墓があちこちにあって、戦国ファンには面白いゾーンです。

ちなみに、ほとんどの戦国大名は、お骨そのものが全てそこに埋まっている訳ではなく、本体のお墓とは別に高野山にもお墓があるべきと考えた家来たちによって建てられたのだそうです。

戦国大名のほか、有名企業の社長さんののお墓などもあり、それはそれで見つけるのが楽しい、不思議な世界です。

・・・というお話を前の晩に九度山の居酒屋で聞くことができたおかげで捗りました。

彼らからすると
「そんなことも知らずに高野山へ行くの?!」
という感じだったと思います。

地元の方々の視点が分かるから、旅は楽しいんですよね。

という結論でした。

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写真は豚平焼、大阪でたまに見る豚肉と卵の鉄板焼です。

お好み焼き風の味付けで、九度山の居酒屋のはソースとマヨネーズたっぷり、さらに翌日分のおにぎりまでいただいたのでした。


チキンカツタワーへようこそ

チキンカツタワーに出会いました。
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手のひらの、指以外の部分くらいの大きさのチキンカツが6,7枚、重なっているものです。

チキンは柔らかくクセがなく、筋や脂も気にならず赤みと程よいバランスで、衣はもちろんサクサク揚げたてです。

それだけでも嬉しいのに、カツの一枚一枚に丁寧にソースがかかっていました。
ウスターとデミグラスの中間ぐらいです。

さらに、周囲にはたっぷりのタルタルソースが溜まっていました。
本チャンのソースの他に付いているとテンション上がります。

さらに、逆サイドには粒マスタード付きです。
味のアクセントになるしウエスタンな雰囲気も出ます。

さらに。お皿に乗っている付け合わせはキャベツの千切りに過ぎませんが、ドレッシングがオニオンベースでチキンカツによく合う。

これで800円。

チキンカツタワーというものに初めて出くわした訳ですが、いきなりハイレベルでした。

2人で1皿にしましたが、美味しいのでこれ1人1皿で行けたのでは、という感想です。

場所は、九度山です。

えっ、九度山

はい、あの真田ファミリーが関ヶ原に敗れて蟄居させられたという場所で、和歌山県にあります。

これまで日本国内でいろいろ訪ねてきたけれど、そういえば京都や大阪から南にぶら下がっているゾーンには行ったことないね、という理由からでした。

「なんで九度山?」

その、「なんで」がポイントでした。

我々は「なんとなく」という理由しか無かったのですが、他の人々にとってはあえて訪ねる理由が少ないようなのです。

昨年の「真田丸」でえらいことになったんじゃないですか?

とチキンカツタワーのお店のマスターに聞くと、たしかに去年は一瞬だけすごかったけれど、1年も経つともうドラマ放送以前とほとんど同じになってしまったそうなのです。

たしかにこの居酒屋さんは、客席で談笑していたおばちゃんがキッチンに入ったりするような地元に根付いたお店で、九度山の観光に来た人があえてこのお店に来たのは1年ぶりぐらいの勢いでした。

それで、できたての地元の柿を袋に入れてたくさんいただいたり、お店オリジナルの真田の掛軸などをいただく歓待を受けました。

ふっ、私が徳川クラスタなんて絶対言えない。

まあしかし九度山は、想像よりずっと開けていました。
森に囲まれている訳ではなく、人家が連なっており、余裕でWi-Fiもつながります。
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紀ノ川の対岸には橋本市があり、橋本駅からは電車1本、1時間ほどで大阪まで出られてしまいます。

だからこそ、町としての存在意義が揺らいでいるのだそうです。

ちなみに九度山高野山の麓にあり、高野山は女人禁制のため空海のお母さんが麓で暮らしていて、空海はお母さんに会うために1カ月に9回も山を降りたことから、九度山というのだとお店(とお客)の人々から聞きました。

真田家も、最初は高野山に封じ込められたのですが、女性も含めた家族みんなで暮らしたいと願い出てここに来たのだそうです。知りませんでした。。

九度山はこれからどうなって行くのか、どうすれば良いか私には分かりませんが、チキンカツタワーは立っていてほしいと思います。