読むめし

口で咀嚼するたけでは足りず、観念でも食べ物を愛でようとする人間

焼酎。それは九州

お腹の風邪の回復状況を見守っていたら、また時が経ってしまいました。
いよいよ梅雨に入って、夏を待つばかりとなって参りました。

先月(2017年5月)のことになってしまいましてが、連休は主に九州を旅しておりました。

自分にとっての新しい体験は、焼酎でした。

お酒が好きみたいな話をブログではしていますが、実はビール、ワイン、日本酒と、醸造酒が専門でした。

お酒は大きく醸造酒と蒸留酒に分けられ、
醸造酒とは、果物や穀物が液体の中で発酵してできたアルコール飲料
蒸留酒とは、醸造してできたアルコールをさらに蒸留したものです。

したがって、アルコールをさらに凝集する蒸留酒のほうが、よほどアルコール度数が高いです。

世の中には様々な体質の人がいますが、私は蒸留酒に弱いらしく、飲むとすぐ具合が悪くなります。

しかし、九州といえば焼酎じゃないですか。
食べ物も、焼酎に合わせているに違いない。

という訳で、おそるおそる挑戦です。
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わかったこと: ロックなら飲める。

ちびちびと冷たい液体を舐めます。
写真は宮崎市内のカジュアル居酒屋にて飲んだ、宮崎の芋焼酎です。

居酒屋の壁に焼酎の銘柄と酒造の場所がカラフルな地図で載っていたのですが、撮り忘れました。無念

日本酒のワビサビな白黒パッケージに対して、焼酎のラベルのブルーや赤の鮮やかさ・明るさって愉快ですね。

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宮崎に来たので、ベタにチキン南蛮です。
お客さんの大半が注文しており、なるほど衣が程良い酸味のタレに浸っていて、タルタルは惜しげなく乗り、チキンは胸で脂身は無く、しかしとても柔らかいのが良かったです。


宮崎県では、爆発的大ヒット焼酎の製造元「霧島酒造」にも寄りました。

霧島は鹿児島のイメージがあったのですが、宮崎県にもまたがっており、霧島酒造は宮崎県の都城市にあるのですね。

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霧島酒造で焼酎ソフト食べたよ。

すっきり目のミルクに、モアっと香る焼酎を混ぜて、すぐ溶けるので飲むようにいただきます。

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霧島酒造で専用グラス買ったよー。

焼酎の初心者なので、蔵元のグラスなら間違いないだろうと。
たぶん何の変哲もない、300円ほどのグラスですが、氷をザクザク入れて飲もう。

というわけで、焼酎に馴染むというテーマを掲げた九州旅でした。

(自分にとっての)焼酎の利点: 量が飲めないので、酒代が浮く。

焼酎の感想: 
 芋焼酎は芋の味がしない。
 アルコールを抽出した感がある。
 今のところ、どの銘柄も同じ味です・・・すみません。

胃が弱ったときの食べ物センサーは胃です。

連休中に急に胃がやられました。

嘔吐、発熱、リンパ節と関節の痛みがあり、原因は不明ですが、現在は段階的に回復しつつあります。

ピークから少し回復したときに劇的に美味しかったのが、梅とろろ昆布うどんでした。

<梅とろろ昆布うどん>
白だしつゆに茹でたうどんを入れ、とろろ昆布と梅干、お好みで鰹節を乗せます。おわり。

意外なほど一気に食べられました。

そんな状態の翌日は、食べられる食材をスーパーで探します。

食材を見るたびに胃袋センサーが反応するのが面白かったです。

たくあん→「固イデス」
わかめ→ 「消化ガ難シイデス」
茶碗蒸し→ 「具が固イデス」

この日は結局、冷凍お好み焼きを食べることができました。ふわふわで、ほとんどキャベツのやつです。

その翌日は、そろそろ何とかならないものかと、仕出弁当のメニューを眺めていたら、それにも胃袋センサーが反応しました。

イカの天ぷらチリソース→ 「固クテ油デ辛イデス」
チキン竜田ネギ香味ソース→「刺激ガ有リマス」
チーズクリームソースハンバーグ→ 「重イデス」

普段なら喜んで食べるものに対して、こうも感覚が変わるとは。

これまでは胃腸を始め内臓をとことん酷使してきたんだなあと思いました。

だって、肉と脂が大好きよ。40代なのに未だに焼肉は安いカルビが好き。
唐辛子でも胡椒でもジャンジャンかけたい。
ニンニクもショウガも、そのまま食べたいくらい好き。
ネギはいつも大盛り、食卓に常備。
香草も好き。パクチーも最近は冷蔵庫に常駐。
根菜類や海藻類など、食物繊維が強くて消化に悪いのもかなり食べる。

からの、つい毎日飲んでしまうアルコールですよ。

内臓にとっては試練の毎日だったことでしょう。

それで、胃炎のときぐらいは労ろうと、肉や脂や食物繊維をやめると、ほとんど炭水化物になってしまうのですね。

うどんとお好み焼き、そして次第に柔らかいパン、甘いパン、お菓子にも勢力範囲が広がります。

入手できなかったけど、マンナビスケット食べたかったなあー。
永遠のロングセラー・ビスコもいい。
あと、ウエハースなんかもいい感じです。

そうなんです、以前に胃腸炎になったときも、食べられるものが限られていたはずなのに、全然痩せなかったよ!

さらに、お肌がパッサパサ!

東京から横浜に引っ越して思ったこと

東京と横浜はほとんど同じ場所だと思っていたけれど、案外違うことに気がついてきたので書いてみます。

<この記事のための簡単な履歴紹介>

・様々な仕事へのアクセスが良いという理由から、品川区大崎に住んでいた。
・大崎のアパートが立ち退きになり、目黒区目黒へ引っ越した。
・派遣先が横浜になったため通勤が面倒になって結局横浜に引っ越した。

◼️品川区・目黒区から横浜に引っ越して感じたこと1

都内でイベント(というかほとんど飲み会)があると、満員電車に乗らなければならなくなりました。

東京駅から横浜駅まで、東海道線で464円、27分です。飲んだ帰りの満員電車の30分は、辛いよ。

◼️品川区・目黒区から横浜に引っ越して感じたこと2

イベント時の満員電車の苦痛と引き換えに得たものは、豊かな住環境でした。

参考までに、家賃です(共益費込み):

大崎 20平米くらい、1K 5万円
目黒 19平米くらい、1K 5.5万円
横浜 26平米くらい、1K 5万円

相場より安いと思いますが、条件を譲った結果です。
私の場合は、最寄り駅からの距離(+坂道)と築年数、あと和室などです。

個人的には、20平米を切ると一人暮らしでも厳しいと思いました。
26平米あると、生活が豊かに感じられるようになりました。
無駄なものを買って保管できると、何かいいね。

◼️感じたこと3

細かい呟きをつれづれに -

・皇居まで徒歩で行って気軽に2,3周して、そのまま帰宅して自宅でシャワーを浴びることは、もうできなくなったんだわー

・気が向いたら目黒川の桜を眺めに出られた春はもう来ないんだわー

・五反田、目黒、恵比寿にふらりと歩いて飲むことができなくなったんだわー
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写真は、先週行った五反田の「びすとろ魚金」です。
いろいろ懐かしかったです。

・朝から西へ出張のとき、東海道新幹線の最寄りが品川から新横浜になり、自由席の確保が難しくなったんだわー

◼️感じたこと4

概して、東京は商業的サービスありきで住居は隙間を縫うイメージでしたが、横浜は住むために整備されている街だと感じました。
たとえば、横浜には美しい大小の公園が多いです。

◼️感じたこと5

品川、目黒、横浜とか、オシャレな響きの街ですが、私が住む安アパートの周辺は、お年寄りが杖をついて歩き、コンビニのレジでゆっくりお金を数えるエリアです。
それはどこでも同じでした。

◼️東京と横浜の距離感

東京駅から30kmあたりにある街を調べてみました。

東京の西部なら国分寺
埼玉なら大宮、
千葉・茨城方面なら柏、
千葉なら幕張

こうして見ると、郊外感はありますね。

ちなみに、職場と住居が近接しているならば、この中で今一番住みたいのは国分寺です。

なんだこのオチは。


『道路の日本史』が面白かった

今まで何となく、最初からそうなのだと深く考えていなかった「東海道」は、京都から見ると東にあって、海側のルートを通るから「東海道」なんですね。
この本を読んで知りました。

えっ皆さんご存知でした?

東海道の対として、「東山道」があったのです。
むしろ、東山道があったために、それに対して東海道だったようなのです。

まず京都が首都だった古代の時代には、江戸なんてほぼ存在しませんでしたからね。
海ルートを通るのは良いけど、どこへ行くの?って話です。

海岸線に沿って道路を作るほうが分かりやすくて早いのでは?
と考えるのは、既に立派な道路ができた後の現代の発想のようです。

川はデカいし入江もあるし、橋を架けるのも容易じゃないのです。
架けたとしても、メンテナンスが大変なのです。

・・・この本は東海道がメインの話ではないのですが、東海道のことだけでも目からウロコってやつです。

一番興味深くて、この本の主眼に近いトピックは、古代道路と高速道路のルートの一致です。

古代の律令国家時代、中央集権がしっかりしていたときは、中央(奈良・京都)から地方へ行くために、できるだけ直線的なルートを引いたようです。

それが現代の高速道路のルートと一致することが多く、実際に高速道路の建設に携わった筆者が、実際に古代遺跡にぶつかったことから探求を始めたというのが何とも切実な話です。

近世の道路も、別にそんなに古代の道路と離れている訳ではないのですが、ルート的には高速道路のほうが古代とよく一致すると言います。

なぜなら、街道の主眼は街と街を結ぶことにあり、遠くの目的地を一直線に目指すよりは、近接した場所をつなぐことが重要だったからです。

古代にとっても近世にとっても重要な拠点は一致しますが、ディテールはずれるという訳です。

これは、近代の国道と高速道路の違いにも重なり、国道は近世の街道に近く、高速道路は古代の道路によく一致します。

総論として、道路というものは、強い中央集権がある時にはよく発達します。
中央集権が崩れると、道路は分断されます。

力の弱い、身を守ろうとする勢力は、道路を寸断するからです。

力の強い勢力があれば、道路を使って軍隊を遠くまで送り込もうとします。

そういうことを踏まえると、旅も味わい深いものになりそうです。

ゴールデンウィークには、山の中を切り開く高速道路や宿場町の名物などを楽しみたいものです。

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写真は、鳥取県境港のまぐろラーメンです。

旅の先々で名物を味わえるなんて、中央集権も無いのに幸せな時代でございます。

4月はじめの横浜の桜

f:id:baroclinic:20170404083503j:image今回の記事は主に記録用です。

また1年後に「こんなだったなあ」と振り返れますように。

さて先週、寒い寒いと言いながら散歩して回った横浜のレポートをブログに上げましたが、続報です。

4月1日と2日の話です。

4月1日まだ咲いてなかった。
エイプリルフールかしら。

もう店は開いちゃってるし人は来ちゃってるんですよ。
開いてないのは花だけですよ。
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来た人は仕方ないから寒いって言いながらビール飲んでますよ。

屋形船も、どうなんでしょう、中にいれば寒くないかもしれないけど咲いてませんよ。
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2017年4月1日(土)、この日の横浜市の最高気温は8.8℃でした。
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翌4月2日(日)、やっと晴れました。
前日に比べれば気温は上がったけれど、やっぱり寒い。


この日は横浜駅から東横線沿いに北上します。

妙蓮寺駅すぐの菊名池公園、1割ほどでした。

花見の人は無し。

菊名の錦が丘は1~2割です。
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住宅街の中に大きな老木の桜が点々とあるのが珍しい場所です。
しかし桜の老化が進んでいるため、若木をがんばって育成中です。

菊名から北東へどんぶらどんぶら(徒歩ですが)、住宅街のなかを進みます。

いきなり山道に分け入ってトレイルモードに突入したりしてさすが横浜だなと思っていたら、トレイルの途中で時代設定が分からない風景が垣間見えました。
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古民家風の家の前に、桜っぽい木が並んでいるのです。
未だに周囲との脈絡は分かりません。
夢だったんじゃろうか。

そうして森を掻き分け再び住宅街を抜け
、車道を渡るカルガモ親子のように(人間1名ですが)歩いたり走ったりして、三池公園に着きました。

やったね!
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桜は1~2割咲きですが、人間は待ちきれません。

祭りです。太鼓のリズムで踊っている輪も見えます。

何にせよ人々はシートを敷いているのです。

三池公園は日本の桜の名所100に選ばれているそうですが、県が管理しているためなのか(不明)、露天や屋台はありません。

近所の人々がお弁当持参でやってくる雰囲気です。

おにぎりとか、家庭の弁当風の柔らかい匂いが漂うのが良いところです。
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何かを焼いたり揚げたりする匂いはありません。

とにかく1割でも咲いているなら、人々は写真を撮ります。私も撮ります。

からの、鶴見川を渡り、我らが川崎へ。
今日も賑わっている街でしたが、桜はここでも1割です。
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今年は平日に咲いて散ってしまうのでしょうかね。

そんな4月初めの週末でした。