読むめし

口で咀嚼するたけでは足りず、観念でも食べ物を愛でようとする人間

黒井城!

2020年4月、世界はいよいよ誰も体験したことの無い状況になっていますが、この記事は2020年2月前半に旅をしたことをもとにしたものです。

 

兵庫県丹波市の黒井城は、近年訪れる人が増えている、戦国時代好きやお城好きの人が要チェックの城だと聞いていました。

 

shirobito.jp

2020年4月、この記事を書いている現在、大河ドラマでは美濃と尾張の大名たちを行き来する段階の明智光秀ですが、やがて越前から織田信長の元へ、そして信長から丹波平定のミッションを請け負います。

丹波地方を攻略する光秀、大変だけど意気揚々だったんじゃないかなあ。

 

この黒井城は、丹波平定のハイライトとも言えるでしょう。

 

場所のイメージは、兵庫県京都府の境目あたりで、瀬戸内海と日本海の真ん中です。

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明智光秀に攻め込まれた城主は、「悪右衛門」と自ら名乗った赤井(荻野)直利。

丹波の赤鬼と呼ばれた武将です。

 

信長に丹波平定を命じられた明智光秀は、1575年に黒井城を攻めますが、一度敗退。

1979年、二度目の戦いのときには悪右衛門は既に病死しており、落城します。

 

信長の野望では彼は丹波地方のかなり強い武将の設定になっているらしいです。やったことないけど。

 

で、今回黒井城を訪ねたとき、かなり強い雨が降っていていて残念ながら山道を登って城跡まで行くことはできませんでした。


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何か山の上に見えるのだけれども。

 

その代わり、登山口にはためく幟を見たのでした。


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むむ、かっこいい


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これは


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福知山城で上映されていた紹介映像にも登場した赤井直正は、赤毛を振り乱して戦う強烈なビジュアルでしたが、その雰囲気が表現されています。

別の場所に別バージョンもありf:id:baroclinic:20200308134902j:image

躍動感があります。

黒井城の赤井さんが光秀に勝利したときの協力者であった、波多野氏のイラストもかっこいい。

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そして明智光秀

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そこはかとなく怜悧でやや尊大なお顔です。f:id:baroclinic:20200308135523j:image

こういう、一つの街の視点からの人物像に出会えるのは旅の喜びです。

 

地元在住のイラストレーターさんによるものだそうで、この世界観、このタッチでもっと見たいと思いました。

 

そして、2020年大河ドラマ赤井直正はどのように描かれるのか?

回想シーンで2秒ぐらいで終わるのか?

1話まるごと使って暴れてくれるのか?

そんな予想も楽しい旅であります。

 

 上記イラストレーターの方のnoteはこちら

note.com

 

 

麒麟がくるに来た。福知山の街で

この記事を書いているのは2020年3月で、COVID-19すなわち新型コロナ肺炎がいよいよ深刻になっている時期ですが、旅をしたのは2月上旬です。

全体的に自粛気味になっている昨今ですが、旅の思い出を綴って参ります。

 

思いがけず2020年の大河ドラマを追うような形になった旅でした。

 

本当は明智光秀のためではなくて、

「関西の日本海側と内陸部に行ったことがないから」

というモチベーションで訪ねた結果です。

 

福知山、京都府の盆地ですね。

京都府の同じく盆地である亀岡市とイメージが混ざることがありますが、わたくし2018年に亀岡を訪ねた感想は

「渓流を下ったらいきなり嵐山の渡月橋に出たよ」

「電車で嵐山から亀岡に戻ったら、10分で着いたよ。ちか」

で、亀岡は京都にほど近いイメージです。

尚、亀岡から福知山までは電車で1時間半以上かかります。この数字からも距離感が分かるかと思います。

 

ちなみに明智光秀

敵は本能寺にあり

って引き返したのが亀岡であります。

(渓流下りの船頭さんがギャグっぽく言ってくれました)

 

亀岡(亀山城)は京都への出入口の押さえ、

福知山は丹波国の開発拠点と考えるととらえやすいでしょうか。

 

まそういうわけで今回は福知山の話なんですけども、福知山・・・どこで飲めばいいの??

なんというか、飲み屋が集まった界隈が見つからない・・・

駅とお城がけっこう離れていて、飲み屋街の分布パターンが読めない・・・

 

しかも、午後5時なのにお店ほとんど閉まっているじゃないですか?どういうこと?

と焦りながら見つけたのが、御霊神社前の「とりなご」です。

 

こちら、食事しながら調べてみたら有名店らしいです。知らずに入ってすみません。

しかも名物は鴨鍋とあり、1人前2500円となるといきなりは頼めなかったのですが、これのために東京は三軒茶屋に支店があるそうです。

 

とりあえずよく分からないままたのんだ。


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他のお客さんは皆さん予約で来店して鴨鍋を食べていましたね。いやー

 

鴨鍋でない鳥料理ももちろん美味しかったです。

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唐揚げ、デカい。

さすがに揚げたてアツアツ、衣はカリカリ、中身はジューシーです。鳥専門店がおすすめするのだから間違いない。

 

ただ1点、注意してほしいのは「山賊焼」というメニューです。

過去に長野県で「山賊焼」に感動したので意気込んで頼んだのですが、違うものでした。。

日本には2種類の山賊焼があるらしい。説明はWikipediaに譲ります。

山賊焼 - Wikipedia


さて、翌朝の福知山城、ボタ雪ボッタボタ。

これが福知山の気候らしいので甘んじて受けよう。


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展示内容はもちろん明智光秀中心です。

歴史からいうと、明智光秀丹波を平定したものの他の戦線で忙しかったため、娘婿(諸説あり?)の明智秀満を城主にしましたが、町と城の基礎を作ったのは明智光秀ですので、2020年は盛り上がっています。


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正直、街の構造が読めず飲み屋はあまり開いておらず、今まで訪ねた中でも謎が多い街でしたが、市役所が福知山城の近くにあり、天守から見下ろされているような角度になっているのが気になりました。

明智さんが見守っているので行政は良い意味でのプレッシャーがあるのだろうと勝手に想像しました。

 

交渉と戦いに明け暮れ、信長に使い倒されて最後にああなった明智光秀ですが、「人民のために」と能力を奮った小天地がここにあるのだと思います。

 

 

城崎にて。

志賀直哉の「城崎にて」は、たしか高校の国語の教科書に載っていたのです。

 

そのストレートなタイトルと癒しの内容から、いつかは訪ねたいと思いつつなかなか実現しなかった訪問がついに叶いました。ありがとうございます。

 

城崎温泉兵庫県日本海側にあります。

舞鶴天橋立京都府ね。

東日本に住んでいると、なかなか行かないのですよ。

 

山奥の渓谷沿い、急斜面に昔ながらの宿やホテルが貼り付いているのを想像していたのですが、想像の5倍は建物と街がありました。


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全てがノスタルジックな調和の中にありました。

古びないけど、懐かしい。


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志賀直哉が「城崎にて」を発表したのは大正年間でした。

 

城崎があったから「城崎にて」が書かれたのですが、「城崎にて」によってこの街の現代までが運命づけられたとも言える・・・んじゃないかな。

 

城崎文芸館という施設もあり、やはり「城崎にて」をフィーチャーしつつ他の文学と城崎の縁についても展示しています。


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城崎はいかに描かれたのか、のみならず、現代において城崎が文学に対してできることはあるのか?まで問うている企画があったりします。

現代作家のオリジナル小説が手に入るかも?

伝統的な文学部感および現代への挑戦があるので、文学部の人および文学部に憧れる理系もぜひ。

 

また、文芸館の入口にある足湯もかなり良いようです。

浸っているおばちゃんに「おすすめ」と言われました。

 

城崎には街の中に無料の足湯が複数あり、旅人を癒やします。

 

城崎の推し食材も基本的にはカニでして、冬の日本海におけるカニの強さを実感します。

 

と、この文章を書きかけているときにテレビでハイヒールモモコさんが

「大阪人は恒例行事で冬に城崎へカニ食をべに行く」

といったことをおっしゃいました(うろ覚え)。

あれ?文学・・・というかカニなの?城崎

 

もし城崎で夕飯のタイミングになりカニを頼まなかったら

「何しに来たん?カニアレルギーなん?」

と思われたのかもしれません。

 

私が訪ねたのは午後でしたので、食べ歩きで手っ取り早いカニグルメです。


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カニまん。


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カニシウマイが中身になったようなもんでしょ、という予想の少し上を行く、カニ感ある中華まんでした。よかった。

 


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 あとは街の写真を貼っていきます。


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足湯を複数配置し、街歩きを楽しめて、風情のある城崎・・・と思いきや大阪人のカニパラダイスの側面もあるらしき街でした。

ついに天橋立。

旅というと、行ったことのない場所へ行くのもモチベーションの一つでしょう。

 

今回はまさにそれ、日本三景と言われていますが、この歳まで天橋立には行ったことがありませんでした。

 

ちなみに日本三景の他の2つは、松島と宮島です。って正直わすれてました。

宮島と天橋立が混ざって、瀬戸内海に天橋立があるイメージすら持っておりました。

 

以前の記事で使用したイメージを流用しつつ確認です。

 

天橋立舞鶴は隣合っていて、本州の腰が反ったあたりにある。


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若狭湾


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ココ。

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ココです。


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今回ですね、とても良かったのが早朝の温泉でして、写真を撮れなかったので文字情報でお伝えします。

 

朝6時半前に、温泉ホテルの屋上にある露天風呂に入りました。

2月上旬、西日本なので日の出の時刻が遅いです。

<日の出時刻>

宮津 6:53      東京 6:35

 

まだ暗いよな、おまけに今日は雨か雪だというし、真っ暗で終わりかなと思いつつ露天風呂に浸かっていると、急に天から落ちてきたのはアラレでした。

 

丸い小さな塊が露天風呂の床に落ち、あるものは消えあるものは僅かにバウンドし、湯に入ったアラレは消え行き、風流なことであると眺めているうちに、天は薄明へと移りました。

 

全体的に青黒いものの、かすかに天橋立の輪郭が見えます。

 

やがてアラレは小止みとなり、終わりかと思ったら次に降ってきたのは綿のような大量の雪でした。

 

空の変化の早さに驚いているうちに次第に明るくなりました。

アラレだ雪だ止んだと短い周期で変化する雲は強いコントラストを持ち、ずいぶん低い高度で次々と日本海側から、天橋立の上を飛んでは去るのでした。

 

その時の写真は撮れなかったのですが、温泉から上がった後の景色はこちらです。


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真ん中に水平にある黒い帯が天橋立です。

雲が急ぎすぎて晴れてたようになっておる。

 

薄明の露天風呂あら上がって朝食ビュッフェも美味しかったです。

ハタハタは脂が乗り、あら汁もコクがあっておかわりしました。

あと、黒い納豆が出た、さすが丹波・丹後?


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味は普通の納豆なのもおもしろい。

 

そんでもって、天橋立を歩いて渡りますよ。


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パッと晴れたり急に雪が降り出したり目まぐるしい天気でしたが、これが冬の日本海らしさなのかもしれないと、両側を海に囲まれた道で堪能しました。

 

下の写真は何かの海鳥です。親鳥たちは冷たい海の上でも休めますが、子供たちは海に入れない状態なのだと、通りがかりのおじさんが教えてくれました。
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かわいい。
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そしてついに、ケーブルカーで登って丘の上から天橋立を見ます。


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やっほーい。

昔の人は、そりゃあ神様がいたと思いますわな。


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以上、天橋立でございました。

舞鶴には2つの街がある(2) 東舞鶴

西舞鶴駅からとなりの東舞鶴駅までJR舞鶴線で6分、約7kmの距離です。


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エビの尻尾のような入江の奥にそれぞれの街があり、真ん中は丘陵と森になって2つの街を隔てています。

 

舞鶴にあったのは、まずレンガの建物と軍艦でした。

軍艦?いや護衛艦?適切な用語が分からなくてすみません。とにかく強そうな船です。


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赤れんが博物館というのがあり、ノスタルジックな昔の文化を展示している所かと思ったら、ガチでレンガの説明をしている資料館でした。


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近代化にともない、舞鶴でレンガを生産していたそうです。


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イギリス式とフランス式のレンガの積み方などを実際にブロックで体験できたりして、思いがけずためになりました。

 

そして、レンガ資料館と入館料がセットだというので行ってみた「引揚資料館」は、テーマが重いのですが、行って良かったと思える場所でした。

 

戦争やシベリア抑留から帰ってきた人々を受け入れた港の一つであったのです。

66万人がこの港に降りたのです。


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資料館のそばにある小高い丘を登ると、引揚者を乗せた船が入ってきた海が見下ろせます。

降雪の晴れ間、なかなか劇的な景色に出会えました。


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戦争の悲惨さとか平和のありがたみとか、普通の言葉にすればありきたりなことになってしまうのかもしれませんが、例えばシベリア抑留で毎食のパンを天秤で測って寸分の違いもなくメンバーに分けなければ殴り合いになるとか、そう遠くない日本人の過去を知るにつけ、仕事の人間関係とか将来の不安といった現代の自分の悩みは何なんだろうと考えます。

心の中にこの歴史を持つことができてよかったと、数日経ってブログを書いている今でも思います。

いやまあこんな食ブログ書いてますけれども。

 

さて、やっと理解してきました:

 

西舞鶴と東舞鶴ではフィーチャーしている時代が違う。

 

西舞鶴は、戦国から江戸の城跡と漁港。

舞鶴は、明治以降の軍港。

 

ランチで海鮮を検索した結果、西舞鶴に多く出たのはそういう訳なのでしょう。

カレーなどの洋食を検索していたら東舞鶴になったことでしょう。

 

西舞鶴のほうが時代的に早かったのは、京都方面から綾部を経由して日本海に届くのに西舞鶴のほうが近かったからと推測しました。

 

明治になって軍港が必要となったときに、なにげにすぐ近くの入江も天然の良港であったと。

 

駅も西と東なのだけど、高校も西舞鶴高校と東舞鶴高校があるし、図書館も西と東にあります。

 

別々の自治体でも良かったのでは・・・高校で対抗戦やったりするんですかね・・・等々、想像が広がってしまいますが、こういうのは現地まで行かなければ気が付かなかったことでした。

 

旅はいいねえ。