読むめし

口で咀嚼するたけでは足りず、観念でも食べ物を愛でようとする人間

座間が少しだけ異世界だった

2018年9月中旬、猛暑が一段落して、私にとってはやっと走れるよう気温になりました。

 

座間駅から北へ徒歩数分の所に星谷寺(しょうこくじ)というのがあり、その付近には武田信玄が第二の鎌倉を作ろうと画策した場所があると最近テレビで観まして、興味を引かれた次第です。

 

星谷寺、大きかった。

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行基が建てたと伝えられ、そうだとすると余裕で千年以上の古刹になりますね。


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地図上では星谷寺以外に目印になるものが無く、武田信玄が実際に具体的にどのあたりに城を構えようとしたのか、正確なところは不明です。

 

とりあえず近くにあった座間谷戸山公園がそれっぽいのではと歩いてみたけれど、イマイチ城を建てる気にならない地形でした。


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谷戸の入口に門がある公園です。


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古くから谷戸の湧水や多様な生物相の恵みがあるようで、この日も何かの収穫祭のようなイベントをやっていました。


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秋の花が所々に咲いていました。

 

せっかく座間に来たので公園をハシゴします。

 

座間谷戸山公園のすぐ隣にある富士山公園は、斜面の途中に旧陸軍の礼拝所跡があり、人が全くいなくて怖かったわ。


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しかし、向かう道の途中では栗の実とヒガンバナの坂道があったりして季節感が出ていました。

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さらに近くの大坂台公園を訪ねると、これまたダイナミックな斜面にありました。


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そこからまた近くの「かにが沢公園」へ。


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ヒガンバナが群生していたのよ、見て見て


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ピンク色のミルキーなヒガンバナを初めて見ました。

 

そうして座間を歩いたり走ったりして分かったのですが、土地の高低がダイナミックです。f:id:baroclinic:20180918024536j:image

横浜も大概ですが、座間の土地はおそらく、相模川を中心とする河岸段丘に、地面が隆起してから細かい川が土地を削ったのが組み合わさって、複雑な高低の世界を作っています。

 

私が生まれた東北では、斜面に森があればそれより上は確実に山しかない闇の世界なのですが、ここ座間では斜面の森を上がり切ると、別の生活圏が現れます。

 

また、横浜では丘の上か谷底に比較的大きな公園がありますが、座間は斜面の途中が公園になっている場合が多いと感じました。

 

ただし底の底は運動場で、いざというときは遊水池になるようです。

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ちょっと萌える貯水池管理事務所もあり。

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座間へは、歴史への興味がきっかけで訪ねたのですが、土地と水の利用が面白くなりました。

 

さてお散歩グルメですが、経路上、相鉄線さがみ野駅から帰投しまして、食べ物を買える施設が相鉄ローゼンぐらいだったわよ。

 

相鉄ローゼン」というラベルが見えたからミラノ風ドリアを買ってみた。

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味は某ファミレスというかサイゼリヤに近く、紙の容器に小ぢんまりまとまっていて、普通に美味しかったです。

 

あともう一つ結論なのですが、真夏より涼しくなったからといってストレッチのGパンと普通のTシャツで出かけてジョギングしたら、汗でメッタメタになり大変でした。

 

以上です。

 

伊東の街を散歩

2018年5月の連休に訪ねた伊東の様子を書きます。

 

連休の旅シリーズは、この次あともう1回で完結しそうです。

 

東伊豆の温泉地として有名な熱海に比べて、現在の伊東は静かな印象です。f:id:baroclinic:20180915161954j:image

温泉街の散歩は良い。

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散歩の途中で興味深いポスターを見つけました。

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おう、伊東祐親という人は、源平の争乱の頃にこの伊東を治めた領主だったのですね。

 

そこへ流れてきた敗者としての源頼朝

伊東さんは、平氏方として源頼朝を預かって見張る立場となります。

 

ところが伊東さんが出張中に、伊東さんの娘と源頼朝がいつの間にかデキてしまい、子供が産まれます。

 

世の中に、これほど辛い立場の人間がどれほどいたでしょうか。

 

可愛い娘の産んだ子供すなわち自分の孫を殺すのか、さもなくば自分が平氏に裏切者として罰せられるのか。

 

伊東さんは、孫を殺すほうを選びました。

武家社会ではやむを得ない選択だったのでしょう。

 

その後、結局頼朝の正妻は北条政子になりましたし、頼朝が勢力を巻き返すと伊東さんは追われる身となり、捕らえられてしまいます。

 

仲間の嘆願で命は助けられますが、武士のけじめとしてか、自ら命を絶ちます。

 

・・・という悲劇の人であることが分かりました(Wikipediaで)。


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800年以上も昔の人が地元で奉られているとは、相当ちゃんとした統治者であっただろうし、頼朝さえ来なければよかったのにって話ですね。

 

そんな人物を知るのも旅の醍醐味です。


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街から少し離れた坂を登ると、伊東家の館跡から静かな伊東の街が見下ろせました。


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一方、海岸の近くには、三浦按針と船のモニュメントがあります。


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オランダの商船会社で航海中に漂流して日本に流れ着いたイギリス人は、徳川家康から篤い信頼を得て、この地で帆船を造ったのですね。

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さて、ホテルのお食事は龍宮城の如しf:id:baroclinic:20180915162526j:image

タイ、ウニ、牛、鶏、桜海老などなど


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静岡の地酒飲み比べセットもあり。f:id:baroclinic:20180915162719j:image

 

そして、伊豆の朝はやっぱり干物ですよね。

陶板で炙っていただけます。f:id:baroclinic:20180915162822j:image

朝からイカや明太子もあるよ。塩辛、しらす大根なども伊豆の幸っぽいし、わさび漬けもやっぱり付くよね。
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のんびり旅と散歩の記録、お読みいただきありがとうございました。

 

 

 

長浜がお土産天国になっていた

2018年5月連休の話、あと1回か2回のはずです。

 

尚、全部読まなくても全く支障がないし、順番に読まなくても全て一話完結の記事ですし、そもそも訪ねた順番に書いていないのでご安心ください。

 

琵琶湖のほとり、彦根城の北にある長浜城を訪ねましたよ。

 

長浜城は秀吉が築いた城ですが、近くに彦根城があるため江戸時代には一国一城原則のため廃城となり、現在は復元天守があります。


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ここの魅力は緑豊かで平和な琵琶湖畔と、

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天守から見える複数の古戦場です。

 

尾張と京都の間にあり、琵琶湖に面したこの場所は、重要な拠点だったことでしょう。

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さて、天守から鉄道をくぐって長浜駅の逆サイドにある黒壁スクエア、ちょっとお土産屋を覗く程度の気分だったのに夢中になって2時間以上滞在してしまいました。


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ショッピングの熱気がすごい。

 

名物は何かと問われると、必ずこれというものはそれほどなくて、とりあえずは琵琶湖に関係するものなのだろうけれど、昔ながらというよりは現代において勝負する気に満ちていました。


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胡麻キムチ。

名前と見た目のとおり、辛い風味のついたゴマを卓上コショーのよう振りかけるものなのですが、これが焼肉、豆腐、野菜炒め、餃子などに合う合う。

 

マットなゴマの風味を主体に据えつつキムチの辛さとスパイスを纏わせた美味しさで、一度開けたら毎食何かにかけてしまいます。

 

それから、鮒寿司

写真を撮らないまま完食してしまいました。

 

鮒寿司とは琵琶湖畔の郷土料理であり、フナを米塩漬けて発酵させたもので、とても臭い。

 

これが、薄くスライスした4,5切れが真空パックで販売されており、初めての観光客にとってお求めやすくなっていました。

 

あーなるほど! 臭い臭い、けど美味しいって、帰宅してから(一人で)笑いながらいただきました。

 

それから琵琶湖畔の地酒も各種取り揃えてモダンにディスプレイしたお店もあり、ガラスの食器を揃えたお店や、各種陶磁器を置いているお店など、数多のトラップが仕掛けられていました。

 

黒いコロッケは小ぶりでサクサク食べやすい。

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お茶屋さんのお茶菓子も、店頭で脚を休めながらいただけます。

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秀吉が創った近江系の城下町は、現代まで創意工夫が生きていました。

 

 

 

群馬、地獄ではなく天国コース

まだ2018年5月連休の話をします。

 

このブログをたまに見てくださる方は、一体いつまで昔のことを書いているかとお思いでしょうが、あと2,3回で書き切る予定でございます。

 

今回は群馬です。

 

北陸地方へ行く前に群馬で1泊したんですね。

今は懐かしい、連休初日です。

 

まずは、戦国時代に真田氏の城だった岩櫃城を訪ねました。


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えらい山奥で、けっこう険しい道を歩きました。


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岩櫃城に来て、真田一族って山岳民族で、岩場で生活するカモシカのような習性というか、生物的な機構があったのでは、と思いました。


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お城とは言うけれど、現代の人はまず住まない山の上に山城はあるのだなあ。

 

その次に、沼田城へ行きました。

 

沼田城は、岩櫃城よりは遥かに里というか人口約5万の沼田市の真ん中にあり、典型的な河岸段丘の崖の上にあります。f:id:baroclinic:20180901170148j:image

かのタモリがまだ高校生で福岡にいた頃、訪ねてみたいと思ったほどの明確な河岸段丘です。

 

高くてハッキリした河岸段丘が天然の要塞となり、上杉、武田、北条氏などが争奪戦を繰り広げましたが、秀吉の治世になって真田氏の統治となりました。

 

さあそんな沼田城、訪ねたところ、
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お花あざやかー!


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咲き乱れるー!


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色が攻めてくるー!


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花ビビッドにエレガントー!


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観光客が少ないのはもったいないと思うほどでした。


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吹割の滝に寄りまして


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この日は沼田市から北東の山方向へ行った、川場村の温泉付きペンションに宿泊です。

 

花紀行さん、食事が素敵ね〜
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野菜にひと工夫加えた複数の小鉢が嬉しいです。


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なにげに、刺身コンニャクも冷たくて歯ごたえがあり、さすが群馬でした。


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朝のジョギングは、林檎の花を眺めつつ。



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早朝からかなり人が出て道の掃除をしていて、活気がありました。

 

宿の朝食も、ハムとキノコを焼いた料理が出たりと、手が混んでいます。


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ここから北陸へ、北へ向かって山脈を越える訳ですが、途中の道の駅がまた楽しませてくれました。


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群馬は道の駅がたくさんあり、どれもショボくれていなかったのです。


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写真をほとんど撮らなかったのですが、地ビールあり、昔ながらの食物あり、買い物だけで日が暮れそうです。

 

谷川岳を越えたら北陸の世界へ。

峻険な峰だけに見が引き締まる思いです。

食べ過ぎてるけど。

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群馬は夏に仕事で来ると地獄みがありますが、関東近郊で1泊旅行なら城あり花あり温泉あり、道の駅が楽しいワールドであることが分かりました。

 

 

 

金沢城から松任城へ そしてブリ大根

まだ2018年5月の旅の話で恐縮です。

 

今回は、金沢城兼六園と、松任城という城跡を訪ねた感想です。

 

松任城を知っている人は多くないと思うし、金沢城松任城を並べてブログを書く人はあまりいないと思いますが、書きます。

 

金沢城イエーー
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でかーい
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歩くのさえ大変ー
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兼六園も広ーい
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いろんな見ものがあって面白ーい
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昔の人は兼六園を訪ねてさぞかし感心したことでしょう。

電気が一切無かった時代の、最大のテーマパークだったのではないでしょうか。

 

ここのお散歩グルメといえば金箔ソフトクリームだったのですが、

「だって味は普通のミルクでしょ?」

と思ってスルーしました。

今から思えば、ネタとして食べて何か突っ込めばよかったですね。

 

さらにこの日の宿泊は金沢をスルーして松任国民宿舎のような所です。

 

砂浜ギリギリに建っていて、ビーチサンダルのまま部屋と海を往復できそうです。

 

さあ、国民宿舎グルメだよ。

 

トンカツと刺身とブリ大根という組み合わせがいかにもそういう施設らしいです。
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トンカツは冷凍食品ぽさのある厚い衣でしたが、その中では最大限におばちゃんがおいしく揚げてくれたと思います。

 

特筆すべきはブリ大根です。

 

東京や横浜の生活では普段それほど食べませんが、北陸ではまずブリが美味しい。

それに付随して大根も美味しくなる。

 

ギュッと味が滲みて全体的に色の濃い一皿は、厨房のおばちゃん渾身の煮込みだと想像しました。

 

朝食がまた良かったです。f:id:baroclinic:20180826164007j:image

ブリの塩焼ももちろん美味しいし、ホタルイカはボイルだけど、酢味噌と合って優しい甘みがありました。
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そして、カツオのタタキと山菜を、酸っぱいタレで和えたもの?正体は分かりませんが、これが美味しかったです。
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魚と野菜をビネガーで和えるって、フレンチあたりまで行かないと無さそうなのに、日本の郷土料理のようなものがあって嬉しいです。

おいしいお米にも合うんだなこれが。

 

さて松任城跡は、JR北陸本線松任駅の裏にある、石垣も建屋も無い小さな広場です。

 

金沢城と比べたら、観光で訪れる人は1万分の1ぐらいだと思います。
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それでもここは城でした。

 

戦国時代、北陸一帯に広がった浄土真宗の人々が拠り所にした砦だったと言われています。

 

看板にある「百姓の持ちたる国」という言葉が矜持を表しているようでした。
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「百姓」という言葉は現代では差別用語ととらえる向きもありますが、公的な看板でそう掲げているのです。

 

身分の高くない一般の人々という、文字通りの「百姓」の意味を正面から使った、この地域の誇りを見出しました。


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今では広場の周囲に僅かに城下町の雰囲気を残すのみですが、その周りは海までほとんど田んぼです。

 

以上、絢爛な金沢城と静かな松任城、およびブリと食事でした。