読むめし

口で咀嚼するたけでは足りず、観念でも食べ物を愛でようとする人間

伝説と虚構と、目の前にある現実 - 巌流島

また歴史オンチ自慢なんですが、宮本武蔵 vs 佐々木小次郎がいつの時代のことなのか、この関門海峡に浮かぶ巌流島を訪ねるまで知りませんでした。

だって、二人とも有名な剣術の使い手らしいのですが、戦局に影響を与えてなくないですか?

どうにも歴史の流れから浮いていて、捉えどころの無い登場人物です。

しかもわたくし、これほどまでに有名な人名を何度も聞きながら、小説もマンガもドラマも映画も読んだり観たりしたことが一度もありませんでした。


彼らが活躍したのは戦国末期から徳川初期にかけてらしいですね。

その時代に、「剣豪」として人に教えたり大名に召し抱えられたりした人々がいたようです。

現代の世界でガチの勝負といえばボクシングで、個人の肉体で戦って、結果が収入そのものにつながるシビアな世界だと思います。

しかし、剣豪の時代というのは、勝負に負けたらだいたい死です。
収入どころか命が無くなり、一門解散です。
そんな世界を生き延びた名人同士の、巌流島の対決はいわば決勝戦みたいなものだったのでしょうか。

巌流島の対決があったといわれる1612年は、徳川の世がほぼ固まった時期であり、大坂の陣を残すのみとなった時代です。(対決の年も諸説あるらしいですが)

1603年に江戸幕府が始まったし、1615年に終結した大坂の陣というのは、政治的な駆け引きを基調とした最大の残党狩りの様相です。

そう考えると、ガチで生きた剣術の終焉のタイミングでもあったのかなと想像します。


武蔵と小次郎の決勝戦、名前を聞くだけ聞いて実在の人物と信じて疑わなかったし今でもそう思ってはいるのですが、二人とも年齢も出身地も諸説あるのですね。

決闘の年も確定ではないし、何故その二人が対決したのか理由すら実は明確ではないのです。

たぶん、とりあえず、小倉藩の城主が剣豪として佐々木小次郎を召し抱え、そこに別件が何か分からないけどやって来た宮本武蔵と勝負することになったっぽいです。

このようにいきさつも日時も、主役の年齢も出身地も分からないのに、巌流島の決闘は日本人の心の中に「事実」として存在しています。

おそらく、何らかの事実はあったのです。

とっても強い剣豪二人が闘ったのです。

それを人々が伝え、聞き、思い思いの「剣の時代」を描いたのだと思います。
あらゆる戦いが終わった盤石の時代に・・・

人々の思いは現代まで絶えることなく、「巌流島」は決闘の代名詞として定着し、その小さな島そのものは遊覧船が往復する観光地となっています。
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像の向こうに見えるのは、関門海峡と橋です。

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小さい島だけど、ビール売っててよかったね。