前回の記事では小田原から箱根湯本まで散歩した風景と早雲寺をお届けしましたが、今回は箱根湯本の町について書きます。
前回の冒頭で、箱根湯本はゴチャゴチャした駅前の通りを熟年夫婦が歩いているとか勝手な印象を書きましたが、今回で訂正の運びとなります。
箱根町立郷土資料館というのがありまして、小ぢんまりとして入館料は300円ですが、400万年前から近現代までが分かりやすくダイジェストで把握できます。
そうか、ここはもう小田原ではなく「箱根町」なのです。
館内撮影禁止なので展示物のご紹介はできませんが、日本昔ばなしのような絵柄の弥次さん喜多さんがフリガナ付きの会話形式で進めてくれるよ。
箱根湯本は、奈良時代には僧侶が訪れ、戦国時代には前回述べたように後北条氏がお寺を建て、後北条氏を滅亡させるべくやってきた秀吉が小田原をにらみつつ逗留し、いよいよ江戸時代にはメジャーな温泉どころになっていました。
地元の資料館で知ることができてよかったのは、江戸時代の宿泊事情です:
旅人は宿場町に宿泊する掟があり、宿場町とはまず小田原で、次の宿場は芦ノ湖の箱根の関所になります。
箱根湯本は宿場町には該当しないのですが、そりゃみんな温泉に泊まりたいですよね。
そんな訳で、旅人たちが実際には箱根湯本に泊まるようになると、宿場町からクレームが来ます。
江戸幕府が下した裁定は
「1泊なら箱根湯本でもOK」。
それほど人気のある場所だったのです。
東海道を往くときに、
「天下の険」
と言われる箱根の険しい火山と森深い坂を越えるのは、とても困難なことだったと想像されますが、温泉がメジャーになったおかげで江戸の人々には何やら楽しい場所と映っていた雰囲気を感じます。
開国すると、外国人も訪れるようになります。
通りすがりのパッと見で昭和の温泉地などとスルーしていましたが、古くは奈良時代からの伝統の地でした、箱根湯本。すみませんでした。
前回は小田原から早雲寺までの写真を載せましたが、今回はその先の箱根の坂へ溶けゆく東海道や川を載せます。
アスファルトの道の横に、石畳の歩道の入口がありました。
深いぞ緑、高いぞ崖
石畳がありまして、梅雨時だったためか石の間を水というかお湯が流れていて、温泉の匂いがするんですね。
ここが旧東海道だそうです。
川沿いの崖っぷちを行ったのですね。
紫陽花と高低差
川を渡る。
川面に近いほうの道
建物の壁と車の色が綺麗だった。
箱根電燈発電所跡
明治25年に関東地方で最初の水力発電所が設置された場所だそうです。
早い段階から文明の先端を享受していた地であったことが分かります。
電車が通るのも早かった。
昭和のレジャー政策より遥か以前にあった場所でした。
さて今回のグルメは、箱根あたりを通りかかるたびに看板が気になっていた、「箱根 森のバウム」を買ってみました。
お店は市街地から外れ、街道からそれた住宅地にありました。
最初なのでプレーン味がほしかったのですが、ラインナップに無かったので抹茶味を買いました。
抹茶部分とプレーン部分に分かれていたので別々に食べてみたのですが、プレーン部分は特徴が無くごく普通の味でした。
抹茶部分は濃厚な抹茶味でした。
別の味はどうだったんだろう。抹茶味は740円、他のは690円で、複数は買えませんでした。
やっぱり試食サイズというか1食分の個包装のがあればいいのになあ。
まあそんなこんなで初めてじっくり歩いた箱根湯本、横浜から1時間ちょっとで伝統の温泉街があったなんて今さら嬉しい驚きです。お金がいっぱいあったら月に一度は泊まってみたかった。