2020年の元日は、神奈川台場を歩きました。
これまでも通りがかったときには漫然と解説板を読んでいたのですが、全体像を意識して見たのは初めてでした。
神奈川台場は、JR東神奈川駅からまっすぐ海の方向へ行くとあります、いや、かつてありました。
現代では、素人には全く往時の形など分からなくなっており、僅かに残った石垣を見るのみです。
星野町公園の端っこにて。
星野町公園のすぐ横にちょっとした資料館があるのですが、元日に開いている訳ないですね。
台場を作った勝海舟をフィーチャーしているようです。バーなの?要チェックです。
古い台場の図をグルグル回しながら歩きます。
水路の奥の突き当たりもそうなのかな?
今回初めて意識して水路の奥を望遠で撮ったら石垣が見えて感動したのですが、これが台場の後かは不明です。
台場公園と名のついた小さな公園もあるのですが、もとの台場の一部を細長い三角形で切り取ったような形です。
何故にそこまで地形が変わったのか。
昔を偲ぶというよりは、土地利用の変化のダイナミックさに驚く場所です。
かなり民家が迫った場所にも残った石垣あり。
ねこさん
と、残存する石垣を見てきたのですが、遺構の全体像については下記の記事が参考になります。
ところで、何故ここに台場を作ったのか?
自分でも整理したくて記事を書いております。
1853年 ペリーが浦賀に来るじゃないですか。「開国シテクダサイヨー」
当時の幕府がびっくり仰天して、国民もびっくりして、開国だー、いや攘夷だー、ワーワーなって、
1854年 日米和親条約 「貿易はしないけど燃料の補給などはOKですよ」
1858年 日米修好通商条約 「貿易も・・・します・・・」
1859年 横浜港が開港
1860年 神奈川台場が横浜港の対岸に作られた。
さてここで、横浜とか神奈川の地名が入り乱れております。
私なんかも30年前は横浜ってほとんど東京と一緒でしょ?と言っていたくらいの人間なので、そういう人から見ると神奈川と横浜なんて同じなのですが、拡大してみると違うんですね。
「神奈川」は、現代のJR東神奈川駅近くで、東海道の宿場があった場所です。
船も付けられるしすぐに幹線道路だし宿泊施設もたくさんあるってんで当初は諸外国がここを使いたいと幕府に言っていたのです。
しかし幕府は、そんな危なっかしい所をオープンしたくありません。
まあどちらかというと、刀を振り回す日本人が外国人を殺してしまうことを恐れたようですが・・・
そこで、東海道と宿場から少し離れた「横浜」を外国用の港としてオープンしました。
JR東神奈川駅から桜木町駅まで3.8kmあります。微妙だけど、違うのです。
ちなみにややこしいことに現在の横浜駅は、東神奈川駅と桜木町駅の間にあるんですよね。
いっそう混乱のもとなのですが、これは幕府が外国に対してごまかすために神奈川だの横浜だのとぼかして使っていたことにも一因があるようです。
たとえば今の東神奈川駅は、神奈川県の、横浜市の、神奈川区という入れ子構造になっています。
「ほら、神奈川と横浜は一緒でしょ?」
・・・結局諸外国の方々は新しい港を気に入って、山手の洋館などのカッコいい景色が形成されて行きました。
「江戸時代の横浜は数戸しかない漁村だった」
とよく紹介されますが、それは桜木町~関内付近のことであり、東神奈川付近は江戸時代でも賑わった宿場だったのです。
上の写真は、東神奈川駅の改札近くにある東海道五十三次・神奈川宿の浮世絵です。
ね、宿場がありました。
で、神奈川台場なのですが、宿場街であった神奈川に近接しています。
推測ですが、「横浜」を開港した以上、「神奈川」のほうは絶対に日本の陣地としたかったのではないでしょうか。
やっとちょっと整理がつきました。
そんなこんなで2020年が始まりました。