平城京は聞きたい放題 2
自転車でスルーするはずの平城京跡に2時間居てしまったことに伴い、ブログも2回に及びました。
今回は主に木簡の話をします。
いや何が面白かったかって、普段人にものを聞く時はまずググるし、「知らないなんてバカだと思われるかな?」というおそれも正直ありますが、この平城京では僅かな疑問でも頭に浮かんだ瞬間に質問して良いのです、たぶん。
(上の写真は朱雀門から南の広場を見たところです。ここにも数人の説明ボランティアさんがいます)
木簡は奈良時代を知る貴重な資料ですが、公式的な木簡もあれば、メモ代わりに書いて捨てちゃうのもあったんですね。
紙が高級だったから薄い木片を使った訳で、古代の人だってメモしたいし終わったらポイッと捨てちゃう。
で、排水溝やゴミ捨て穴みたいな所に小さな木簡がジャラジャラ積もっていたそうです。
運良く現代まで残った木簡を、研究者の方々が悩みながら解読するのですね。
私が興味を持ったのは「荷札の木簡」で、列島各地から運ばれてくるお産物に年号と産地が書かれています。
こういうのがあると、パズルのように統治制度と年の変遷が分かってくるのでしょう。
奈良時代の各地の産物について、平城京跡の資料センターの展示がとても見やすかったのですが、ネット上では見当たらなかったのでググったところ、この記事が見やすかったです:
木簡が沈殿していた排水管はもともと建物の柱として使われていた木の幹で、内側をくり抜いたものだったりするそうです。エコですね。
エコといえば、
復元された第一次大極殿を我々は見ることができますが、
第一次ということは第二次もあり、聖武天皇が一旦平城京から別の都へと転々と遷都して、そのときに建屋の資材も新しい都へ運んで行き、やっと平城京に戻ってきて新しい場所に建てたのだそうです。
聖武天皇一人で4回も遷都するとか、現代の我々の想像を軽く超えるスケールです。
あまりにも小刻みに遷都したせいで、これまで遷都といえば奈良→京都という単純な認識しかありませんでしたが、平城京の跡地に立ってやっと聖武天皇がやらかしなさった途方もない距離感が得られました。
聖武天皇の遷都について、わかりやすかった記事はこちら:
さて、本日の食べ物は鯖のへしこwith日本酒です(食べかけですみません)。
日本酒は奈良の「往駒(いこま)」 をいただきました。
へしこって、ちびちび食べて直後に日本酒を飲むと、辛口のお酒でもまろやかに甘く感じるんですよね。
その変化を楽しみました。
保存食としてのへしことお酒は、奈良時代からの楽しみだったのかなあと思いを馳せながら。