いちおう道順としては前回からの続きですが、あまり気にしないでください。
根府川駅から余裕をこいたために回り道して体力を消耗し、やっと来た良い景色の中で喉が乾きつつ、石橋山古戦場まで来ました。
根府川駅から素直に来れば5km程度でした。
写真が朦朧としていてすみません。
けっこうヤバかった。
階段を登り切ると佐奈田霊社という神社があります。
ここでやっと説明すると、石橋山の戦いとは1180年の源平合戦の緒戦で、伊豆の里で流罪になっていた源頼朝が挙兵し近場の平氏をボコった後、伊豆半島を脱出しようとしたときに平家方の追手に逆にボコボコにされた戦いです。
頼朝の味方だった佐奈田余一は、ここで壮烈な戦死を遂げ、のちに祀られました。
その古戦場がどういうところか訪ねてみた次第です。
根府川駅からしてそうだったのですが、山肌からストンと海に落ちる急斜面で、当時約300騎といわれた頼朝勢が全部集まれそうな空間など見当たりません。
布陣とか作戦とかいうよりも、敵味方が「通せ」「ここは通さぬ」で衝突したのがたまたまここだったのだと思いました。
味方が潰滅する中、なんとか頼朝が脱出できたのは幸運といえば幸運・・・要素を求めるとしたら、この急峻で複雑な地形が幸いしたのでしょう。
そして、当時この近くの湯河原~真鶴を領有していた土肥実平が、地形を把握していて僅かな味方を導けた可能性なども想像します。
(※後日注:この散歩の後、小田原駅の書店でゲットした本に、やはり土肥実平がキーだったという推論がありました。ですよねイエーイ)
この地形、箱根の外輪山の一部なんですって。火山が海から直接盛り上がったら、そりゃ急斜面にもなりますわな。
などと考えつつ、いよいよ近づく小田原の街を見ながら、次に目指すは石垣山一夜城というかその隣にあるパティスリーです。
海の向こうに小田原城が見えるよ。イエーイ
しかしまたここからが長かった。
相変わらず自販機は無いのです。
以前に一夜城を訪ねた記憶からすると、たしか山頂に近かった。ということは、ここからずっと登り坂であろう。
数メートル先の路上に突っ伏す自分の姿が何度も見えました。
疲れたときの道の先、道を曲がった向こうも容赦なくまた登り坂がありますよね。
時折見える小田原の海だけが救いです。
桃ジュース、レモンジュース、マンゴーソーダ、思い浮かべながら時には道端の縁石に座り込み、プルプルしながら汗だくでやっと辿り着きました。
そこで
「今日ダイビングしてきたんですか?」
と地元っぽい年配夫婦に聞かれたことは、しばらく記憶に残ることでしょう。
石橋山の戦いが1180年、そしてこの石垣山一夜城(パティスリーではない)が築かれて豊臣秀吉が小田原を攻略したのが1590年。
歴史に思いを馳せるとき、山を登りながら約400年の時を下ったことになります。ま飲み物のことしか考えていなかったけど。
石橋山の戦いで頼朝とともに戦った北条氏は後に鎌倉で政権を取りましたが、鎌倉幕府の滅亡と共に散り散りとなりました。
その約300年後、伊豆を経て小田原に城を構えたのが後北条氏となります。
その約100年後に小田原が陥落します。
そういえば、石橋山の戦いの頃の小田原はどういう状態だったんだろう。
文献は少ないようです。
石橋山の戦いの後、すぐ横の小田原をガゼン無視して房総半島へ渡った時代と、天然の要害として後北条氏のときに一気に重要拠点となった時代では、何らか流れの違いがあるのかもしれません。
という訳で、一夜城ヨロイヅカファームでスイーツ購入しました。
あと野菜カレーパンがすばらしくて、前回も買いましたが今回も買いました。
ビーフとスパイスの香り引き立つ濃厚たっぷりルウの上に、食感のしっかりした地元野菜を敷き詰めたパンは、カレーの箱庭や!
もうほんとすみません、内容があちこちで支離滅裂になったので、箇条書きにしてまとめます。
・根府川駅から石橋山古戦場へ、山肌をくねくねと行く道の景色が良い。
・ただし自販機は無い。
・石橋山古戦場は複雑な急斜面が海に落ちる場所である。そこは箱根の外輪山の一部である。
・ただし自販機は無い。
・石垣山一夜城のバス停近くにやっと自販機が一つある。
・石垣山一夜城の隣にある一夜城ヨロイヅカファームは、スイーツも美味しいが野菜カレーパンがおすすめである。
以上、よろしくお願いいたします。