秋です。読書です。散歩です。
最近、吉川英治の『私本太平記』を読み終わりまして、その視点で鎌倉を歩こうと思いました。
そもそもの太平記とは、一言でいうと南北朝のてんやわんやを記した書物で、吉川英治の『私本太平記』は、その中で足利尊氏を主役にした歴史小説です。
鎌倉幕府とか南北朝とか、例によって私は全く整理できていなかったのですが、小説を読んで、大雑把に次のような区分ができると思いました。
- 鎌倉幕府末期: 後醍醐天皇と足利尊氏などが、鎌倉幕府を倒す。
- 建武の新政: 後醍醐天皇が京都で新しい政治体制を敷く。
- 南北朝: 後醍醐天皇と足利氏が対立する。
- 観応の擾乱: 南北朝の対立のうえに、北朝内部で足利尊氏と弟の足利直義が対立する。
- 南北朝の収束: 足利尊氏も直義も死去し、足利尊氏の孫である足利義満が南朝を吸収して南北朝を収束させる。
という感じで理解しました。
2018年10月6日、いざ鎌倉へGo.
1-1. 鶴岡八幡宮
いつも混んでいるしベタなのであまり行ったことがありませんでしたが、改めて見ると壮観ですね。
鎌倉幕府のシンボルだけあります。
1-2 若宮大路幕府跡
こちら、うららかな普通の住宅街に石碑が立っているのですが、鎌倉幕府が滅亡するまでの約100年間、将軍御所があった場所です。
1-3 日野俊基の墓
日野俊基は、鎌倉幕府がまだ幕府の体裁を保っているときに、先駆的に倒幕を企てた公卿です。
企ては発覚してしまい、捉えられてこの地で処刑されました。
この場所、日差しがある時ならいつ来てもカッコいい写真が撮れます。
日野俊基卿の辞世の句は
「秋をまたで葛原岡に消ゆる身の露のうらみや世に残るらん」
・・・なんか、死の直前まで上手いこと言って、相当クールな公家だったと思われます。
こうしていよいよ動乱の時代へと、歴史は動いて行きます。
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ところで、足利尊氏はもともと鎌倉幕府の御家人だったので、日野俊基卿が処刑された時点(1332年)では、まだ鎌倉幕府方のような顔をしています。
その翌年、鎌倉幕府の命令で後醍醐天皇の勢力を鎮圧に向かったと見せかけて、突如幕府への反乱を宣言します。
その場所は丹波国、今の兵庫県だったので、鎌倉からは離れていますね。
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1333年は足利尊氏の幕府離反をはじめ、それまでの不満勢力が一気に表面化し、奔流のように時勢を捲り上げます。
それは次回にて、お楽しみに!・・・文章が長くなってしまったので続きます。