読むめし

口で咀嚼するたけでは足りず、観念でも食べ物を愛でようとする人間

氷見の番屋の道の駅から

氷見の道の駅がかなりの規模でした。

 

「道の駅 氷見漁港場外市場 ひみ番屋街」という名称からして、食べさせる気が全面に出ており、上手いネーミングです。

 

しかしGoogle Mapでこの名称を見たときでさえ、ここまでの規模とは思いませんでした。

 

言わば、道の駅の複合体です。

himi-banya.jp

飲食店ゾーンあり、土産屋ゾーンあり、土産屋ゾーンはさらに鮮魚エリア、干物エリア、野菜、菓子、物販などに分かれています。

 

フードコートまであり、地物のカレーやラーメンも食べられるほか、土産屋ゾーンで売られているコロッケやソフトクリームもいただけます。

 

建屋の外にもテーブルがあるし屋台的な店も出ていますし。

 

足湯もありますし。

 

道路を渡ると海に面した広場があり、展望台付きですし。

 

早速いただいたのはこちら、とろろ昆布おにぎりです。
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施設の規模に驚いた割には地味な物ですみません。

 

しかしこれ、口に入れると海の匂いが膨らんで予想以上にぬめり、これが昆布というものだったかと再認識できる一品です。

 

真ん中には梅ペーストが入っていて、昆布との相性も良い訳です。

 

あと、屋台の豚汁が具材たっぷりで美味しかったです。
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名物かどうかは知らず、ただ作っているところが美味しそうだったので食べてみたのですが、味噌は白めの甘めで、サツマイモまで入り、これとおにぎりで1食分になりそうです。

 

まあお寿司とコロッケも食べちゃいましたけどね。

 

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海沿いの広場の展望台からは、万葉の昔から噂の絶景が見られます。

 

海の上に立つ雪山の壁。立山連峰です。
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この日はわずかに靄っていたのか、眩しい日差しの向こうに山が薄く見えるくらいでしたが、とにかく晴れて良かったです。

 

 ---ここからは蛇足---

 

まだ京都に都すら無かった万葉の頃に、この景色を見たくて歌人が奈良から来たの?すごーい!

 

と思っていたのですが、帰ってから調べたら、大伴家持(おおとものやかもち)さんという万葉集選者かつ歌人、かつ貴族で官僚で武人は、地方の管理をする役目でこの辺に赴任して5年ほどいたのですね。

 

ネットで調べたところ、大伴家持さんの人生が激しかったのでここにまとめます。Wikipediaその他より。

大伴家持 - Wikipedia

 

西暦716年頃生まれる(正確な生年不詳)

幼少期は父親の転勤で?太宰府

730年 帰京

746年 越中守として任地へ

751年 帰京

758年 因幡守として任地へ

762年 帰京

764年 薩摩守として任地へ

767年 太宰府で少弐という役職に

770年 帰京?以降着実に昇進する

782年 乱への関与を疑われ解官される

782年 しかし復活する

784年 蝦夷征討の責任者となる

785年 陸奥国

786年 死去。場所は陸奥か近畿か不明

ところが死去した直後に藤原種次暗殺事件があり、関与が疑われて埋葬を許されず、官籍除名。

806年 没後20年してから恩赦によって官位復活。

 

なんじゃこりゃあ

 

和歌を詠んでいる場合じゃないのでは。

 

ちなみに、地方への赴任と帰京の繰り返しも、絶えざる陰謀と暗殺と遷都の影響であり、巻き込まれたというよりは中心に近かったこともあるのでは、みたいな。

 

極めつけの786年藤原種次暗殺事件なんか、若かりし頃の最澄(当時20歳くらい)と空海(当時12歳くらい)にも間接的に影響があったと思われるほど日本史上の大きな暗殺事件です。

 

あと、上記の簡易年表の「帰京」の「京」は、平城京長岡京、あと細かく何かあったかもしれない絶えざる陰謀と遷都の歴史の中で、だいたい近畿地方だったぐらいの意味となります。

 

父親の名前は大伴旅人、弟は大伴書伴って、ほとんどマンガみたいですが、家持が幼少の頃に父親に連れられて大宰府に行ったときに、父親と山上憶良らが筑紫歌壇を形成し、これが後に万葉集で防人歌(さきもりのうた)を収録することにつながって行ったと想像できます。

 

身分の低い者は「よみ人知らず」として収録されることの多い万葉集の中で、家持は防人たちの名前を載せ、自らも詠みました。

 

先ほど「歌を詠んでいる場合じゃない」と書きましたが、歌でこそ伝えたかった何かを終生持ち続けていたのかもしれません。

 

もしも大伴家持大河ドラマをやったら、ロケ地が異常に多くなって、あちこちの事件とエモーションが目まぐるしいことになるでしょう。

 

高岡や氷見など富山の美味しい海の幸はもうしばらく現地で食べる機会が無いのだろうけど、帰宅してから思いを巡らせたら、こんな広がりになりました。