読むめし

口で咀嚼するたけでは足りず、観念でも食べ物を愛でようとする人間

鎌倉を勉強中。意外といろいろ残ってない編

鎌倉のことをあまりにも知らなくてヤバいと思いました。

前々回の記事にも書いたのですが、
・大仏があるお寺の名前を知らなかった。
・観音様とは何かを外国人に説明できなかった。
鶴岡八幡宮小町通りと、円覚寺建長寺しか知らない。その成り立ちを知らない。

という状態なので、勉強を始めました。

折よく「鎌倉検定」というローカル検定が11月の終わりにあることを知り、申し込んでみました。

検定の公式テキストをざっと読んでみると、八幡宮小町通りの他に様々な跡地があることが分かりました。
しかし、その多くは推定であるのが意外でした。

鎌倉幕府の御所は、鶴岡八幡宮のすぐ東隣にあったらしいのです。
しかしそこは現在、普通の住宅地です。

源頼朝が造った政府の建物は跡形もなくて、後世の人がおよその場所を推定しているのです。

現代の感覚だと、大事な場所は保存されると思うのですが、時代によってはそうとは限らないのですよね。
本気で昔は何があったのか分からなかったり。

鎌倉は、幕府ができて繁栄して、幕府滅亡して、そのあとは室町時代で「京都政権 鎌倉出張所」みたいな扱いがあったけど、室町幕府が崩壊するにつれて存在感を失ったのですね。

意外と東海道から外れた場所にあって、急峻な丘に山に囲まれて海にしか開かれていない場所なので。

そこにリゾートを見出したのが江戸時代と昭和の初期だったらしいです。

そんななので、幕府ができて町が栄えてから現代までの間にけっこう断絶があるようです。

というわけで、実際に訪れて、幕府の庁舎の跡や要職の人の邸宅跡を見てみました。
よく見ると、カッコいい石碑が立っています。

頼朝が建てたといわれる御所は、住宅地の中にあり、かろうじて現在は小学校になっているために「まあアリかな」と思える風情でした。
f:id:baroclinic:20171003081009j:image

頼朝の死後、微妙に数百mほど庁舎を移したようでその場所は一応小さな神社がありますけど、庁舎が1m四方な訳ありません。
周りは住宅地です。
f:id:baroclinic:20171003081130j:image

そのあともう一回庁舎の移転が数百mあったらしいのですが、その跡は住宅です。多少和風な風情はあるのですが。
f:id:baroclinic:20171003081229j:image

木造建築が燃える理由は

・失火
・放火
・落雷

が考えられます。
鎌倉は賢そうな人が住むイメージがあり、うっかり燃やしちゃったりしないのでは?と思いますが、武士の世を極端に表現すると

「あいつムカつくからブッ潰す」

の論理で動いていた部分もあるのですよね。

そんなことを思った鎌倉お勉強散歩でした。

ふらりと、小さなパン屋で米粉ベーグルを買いました。
f:id:baroclinic:20171003081659j:image
うーん、ベーグルというよりリング形の普通のパンのような食感でした。

お店も旧跡も、ちょいちょい細かいやつを見出せたら楽しみが広がりそうです。