しかし実際に行ってみたら、けっこう平地に街がありました。
宇和島城から見た街は、しかしながら、島々の間を流れる海流のようでもありました。
きっとそういうことだったんでしょうね。
復元だけど天守閣もあります。
伊達と言えば、仙台の独眼竜ですよね。
(よーし、日本史が少しずつ分かってきた)
いろいろあって、宇和島に配属になります。
配属当時の宇和島は、いろいろあって荒れていました。
「この人の言うことは、全て私の言葉だと思って従いなさい」
と。
山家清兵衛(やんべせいべえ)という家老です。
山家さんは、マッドマックス状態だった宇和島を本気で立て直します。
が、やっと立ち直りかけた頃に幕府から「大阪城を改修したいからお金と労役よろしくねん」の通達が届きます。
ああ、徳川幕府。それが徳川のやり方です。
せっかくここまで苦しい中でもなんとかやってきたのに、これ以上の負担を支えるには、もう公務員(当時のそれっぽい人々)の給与を削るしかない。
そして政敵の恨みが顕在化し、山家さんは凶刃に斃れるのです。享年42歳。
この訃報を聞いた宇和島の人々の悲憤は相当なものであったことが伺えます。
へえ、そんな神社があるのか。訪ねてみよう、と思って付近まで来たのですが、なかなか見つかりませんでした。
なぜなら、想像の数十倍大きかったからです。
えっ町1つ分くらいあるのでは。
そんな山家さんから立ち上がった街・宇和島は、江戸年間を通じて伊達家の所領となりました。
山家さんのおかげなのか偶然が重なったのか分かりませんが同じ家の藩主が続き、現代の宇和島はどこかノスタルジックで濃い潮の香りが漂います。
その様子は、長くなったので次の記事にて。