江戸時代は、幕府の意向で大井川に橋を架けることが禁止されていました。
そのため、専門の「川渡し」の人々が通行人を担いだり板に乗せて運んでいたんですね。
この様子は昨年NHKのタイムスクープハンターで描かれ、日本史オンチの私にも印象深いドラマでした。
そして明治の世になり、領民の念願叶ってついにこの橋が架けられたのです。
現在の通行料は100円です。安い。
渡ってみて、実に安いと思いました。
木でできた橋は、人が二人並んで歩ける程度の幅で、手すりはありません。
30cmほどの柵の向こうはダイレクトに川です。
安全柵なんて設置したら、この雰囲気は全て台無しになってしまうのでしょう。
大井川は、日本の本州を弓なりに反らせているお腹の辺りにあり、糸魚川-静岡構造線の一部をなします。
30年前の教科書では糸魚川-大井川構造線と書かれていましたが、現在は静岡側のラインが明確ではないとされ、静岡市の安倍川なども含めた面で説明されるそうです。
いずれにしても大地の割れてる付近にある大井川、グレートです。
(てか、雨がとんでもない強さに)
大地の裂目で、なおかつ幕府が橋を架けなかったら、そりゃあ文化も別れるでしょうか。
ここが東西の食文化の分かれ目という説もあります。
そのような意味でも大変興味深い場所です。
(対岸が見えてきたけど、雨がえらいこっちゃ)
驟雨の中、やっと対岸に辿り着いたのですが、屋根の付いた建物はありませんでした。
上の写真では通路がコンクリートに見えるかもしれませんが、滝のような水です。
出発点は島田市の市街地の川の土手なのですが、対岸は普通に山道でした。
この山道の向こうに、牧之原のお茶の台地があるようです。
明治の世の人々が、ぜひとも結びたい道があったのでしょう。
ていうか、ずっと川の中で動かない鳥が気になっていたんですけど・・・
ものすごい雨でも動きませんでした。
そうして、全身ビッタビタになって島田側へ戻ってきました。
奥の右手に見える建物はアピタという複合ショッピング施設です。都市の安心感と現実感がありますね。
東海道の島田宿の名残は、この蓬莱橋から少し離れた渡河点にあるようで、今回は断念しましたが、いつか訪ねてみたいです。
何しろ、大井川の氾濫が治まるまで旅人が待っていた街ですから。
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さて、島田をあとにして (鉄橋であっさり川を渡り)、宿場的には3つ先の掛川では自然薯の料理をいただきました。
自然薯を俵状にして揚げたもの、これで800円はやや高いかなと思いますが、自然薯のパワーがすごいのかもしれません。
疲労回復や美容など、様々言われていますね。
ドラゴンボールの仙豆だと思えばいいんです。
自然薯の鉄板焼、1000円。静岡の地酒「花の舞」もよく合います。
というわけで、大地と天と徳川幕府と領民の力に触れた旅でした。
そんなまとめでございます。