読むめし

口で咀嚼するたけでは足りず、観念でも食べ物を愛でようとする人間

小田原から箱根湯本まで歩いた

6月の紫陽花が終わる頃、行って参りました小田原と箱根湯本です。

 

箱根湯本って、何度か通った私でも湯河原とたまに混ざるし同じ箱根のお湯ではあるのですが、

  • 湯河原は海沿い、
  • 箱根湯本は箱根の山に登る途中

と区別いたしましょう。

 

箱根湯本は過去に何度か通り過ぎたのですが、駅のホームからはいつも工事中の川が見え、駅前の商店街がゴチャゴチャしていて熟年夫婦が歩き、たぶん後ろの方に昭和な温泉宿がある所というイメージで、大して興味を持っていませんでした。

 

今回行こうと思った目的は、早雲寺です。

早雲寺は、後北条氏菩提寺として箱根湯本にあることを知りました。

 

小田原から箱根湯本まで直線距離では6kmあまり。くねくね道を行けばもう少しあり。

歩いてみようではありませんか。

 

小田原駅から西へ。

梅雨の季節のアンニュイな風景の中を歩きました。

 

下の写真は小田原から箱根登山鉄道で最初の駅、箱根板橋駅の紫陽花です。以前はもっと多かった気がするのですが、鈴なりの姿を見られただけでもヨシ。

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小田原から西の方向へは、東海道やら国道やら鉄道やら大動脈がいろいろ続いていますが、散歩はそれらの合間を縫って細道を行きます。
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水路に住宅街と、その向こうに見えるのは箱根の山々です。


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エレガントな紫陽花、さすが小田原です(先入観)。

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ねこさん
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20年ぐらい生きてそうな目で見てる。


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主要な道を外して歩くと、山の斜面を上下せざるを得ないのですが、それもいい。


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古くから根付いた生活の匂いと、大地の力あふれる箱根の斜面と。

 

からの、不意に見える海。
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坂を登って降りて、
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眼下の集落は、風祭の谷でしょう。

後北条氏に仕えた風魔の忍びの伝説のある里です。

 

夏の始めに咲く、ぴゅろぴゅろした青紫の花と紫陽花。
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箱根登山鉄道と紫陽花は、この界隈でよく見るショットです。

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箱根の斜面がすこしずつ近づきます。
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道路の柵や橋の模様が籠行列でした。さすが。
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そんなこんなで辿り着いた早雲寺です。

後北条氏の2代目・氏綱が建立しました。
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拝観無料で人影もなく、門を潜ると親切にも「順路」の矢印があり、導かれるまま進むと、北条五代のお墓がありました。


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ってあっさり書いていますが、けっこうビビりました。

あの後北条氏のお墓がいきなり眼前に。

 

しかもあとで思ったのですがこのお墓、いかにも後北条氏らしくないですか。

五つの石塔が均等な高さで均等な距離にあります。

ステマチックな税制、軍制、報奨制度を作り統治したと言われている人々です。

ちなみに墓石は右から1代目、2代目・・・5代目です。


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脇にある五代の解説が簡潔で分かりやすい。

 

さらに嬉しいことに、お庭が見られます(柵の外から)。


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最初は北条幻庵の作だったけど、現在の姿はたぶん江戸時代の誰かが作ったんじゃないかな・・・という解説も付いています。

 

北条幻庵とは。

北条早雲の末子で、お坊さんになったけど手先が器用で馬の鞍や笛や庭を作ったり京都から来た文化人の相手をする一方で、お坊さんだった気がするけど数千人の部隊を率いて何度も戦ったし、かなり長生きして嫡流の5代目にまで会った。1590年の小田原合戦で後北条氏が滅亡する直前にあの世へ旅立ったと言われている。

 

箱根湯本、駅を通り過ぎただけでは分かりようもない歴史がありました。

 

小田原から歩いてみて、北条幻庵や歴代の後北条氏の人々も歩いたであろう、本拠地・小田原と別天地・箱根湯本は、生活と大地と海と森と温泉の香る道でつながっていると知りました。

 

尚、この早雲寺は小田原合戦で後北条氏が滅亡するときに秀吉が占領して逗留場所とし、合戦後に焼き払うんですね。

 

秀吉にムカつきました。

 

以上、今回のご報告でした。