冬の絹の道 八王子から橋本そして柚子
本日の記事は、八王子の片倉城跡公園からスタートです。
城跡の北側の湯殿川から入って行くと、
広場にだいぶ現代的な女性の後ろ姿が。
いやめっちゃ現代やで。
すみません、面白かったので載せました。
ずんずん中へ入って行くと、二の丸跡の広場は広く、枯れ草フサフサ、犬も喜びます。
小さな橋を渡って、隣には本丸跡があります。
二の丸から本丸へ小さな橋を渡ったということは、間に空堀があった訳ですが、建屋は残っていない、どころか誰の城だったのかも定かではありません。
城跡の説明板には大江氏か長井氏かも、とあります。
14世紀末から15世紀にかけてこんな場所にそんな人々がいた(かも)とは初耳でした。まだまだ関東近郊の歴史も知らないことが積もっています。
この城跡は小高い丘になっていて、良い感じのテーブルとイスと、木立の向こうに八王子の住宅地が見える場所もあります。
暖かいお茶を持ってきてくつろぎたい場所でした。
そうそう、同じ丘の上にある住吉神社のマークが毛利もとい大江氏でした。なるほどね?
敷き詰められた銀杏の葉は神々しく光っていました。
からの、住宅地を歩いて
住宅地の端でドーンとまっすぐに長い階段を登り、
この上に「道了堂」があります。
明治の初期に、旅人のや村人の安全を願って作られたお堂だったそうです。
ここから絹の道が明確になります。
落葉ふっかふか。
お堂はもうありませんが、跡地にはこれまた銀杏の葉と陽射しが照らして神さびています。
と、実は一旦記事を書き終えてから調べたところ、この道了堂は心霊スポットの噂があったのですね。
この峠のお堂を一人で守っていたおばあさんが殺害されてしまったのは1963年、けっこう現代のことです。
それで荒廃していた周辺で1973年、さらに不倫・死体遺棄事件が起こりました。
(怪談や噂を扱ったページは数多く見つかりましたが、センセーショナルに扱ったような記事にはリンクしたくないので、Wikipediaでどうぞ)
先入観のない状態で訪ねた感想としては、けっこうきちんと整備されているなあ、見晴らしが良ければもっと良かったな、ぐらいでした。
軽いハイキング風のおばさん2人とすれ違い、笑顔で挨拶しました。Adidas的な靴だったので令和の人たちでしょう。
なんて、絹の道などを尋ねる人が増えて賑わえば、こういった怪談も減るし亡くなった方も浮かばれるのではないかと考えます。
さて、サクサク落葉を踏みながら絹の道を南下すると
次第になんだか江戸時代の山のキワかな?という雰囲気になり、その先に絹の資料館があります。
入場無料の小ぢんまりしつつ、建屋自体に昔の雰囲気が感じられる資料館です。
実際に絹を扱っていた商人の邸宅跡地なのだそうです。
そこから少し南下して、小泉家屋敷で柚子ををゲット。3個で100円。お金は竹筒へ。
小泉家屋敷は養蚕農家の面影を残し、個人宅ですが東京都の有形文化財に指定されています。
あとは途中まで絹の道を辿りつつ、JR橋本駅を目指すのみ。
絹の道の途中でこんな幻想的な光景に出会いました。
絹の道は、日本が開国した頃に絹が外国に売れるというので、群馬方面や八王子から横浜を目指して辿った道なのですね。
開国というと西洋の文化が一気に入ってきて日本の文化的には断層があるイメージですが、絹の道は逆に日本の中身を外へ押し出していたことになります。
日本の歴史でもきっと、戦いによって為政者は変わっても、農民の生活はゆっくり変化したのだと思います。
日本の物を外へ出して行こうという動きのあった絹の道には、まだ微かに江戸から続く雰囲気が感じられました。
--
さて晩御飯でさっそく柚子を使いますよ。
刻んで匂いを嗅いだら柑橘世界に旅立ちそうなほど良い香りでした。
醤油ベースの鱈・蕪・白菜の小鍋に投入したところ、ポン酢がほしくなりました。なるほど。
意外だったのが納豆です。
途中で急に思い立って載せたのでご飯にタラコふりかけもかかっちゃっていますが、柚子納豆おいしい。
納豆のぬめぬめに差す光のような爽やかさ、納豆に新しい風が吹きます。
●まとめ
・生の柚子を刻むと香りが凄まじく良い
・鍋に入れるとポン酢を想像してしまう
・柚子納豆、いける
ところで、一味唐辛子と柚子を合わせると、2種類だけなのに七味のように感じられました。
以上です。