群馬県太田市の金山城から栃木県足利市の鑁阿寺まで歩いてみた 後編(完)
これまで2回にわたり、太田市から足利市への道のりをお送りしてきました。
さて、新田氏と足利氏はどちらも源氏で、元を辿ると祖先は兄弟なのですね。
平安時代に彼らはこの北関東の隣合う荘園を管理することになります。
詳しい経緯はくんずほぐれつ、源氏だけど平氏と組んだりいろいろあって、鎌倉の北条政権ではお互いを牽制するように仕向けられたりした末に、ついに鎌倉時代末期に新田義貞 vs 足利尊氏が華々しく火花を散らしつつ幕府を転覆させました。
そんな2つの領地が現代はどうなっているのかを自分の目と脚で確認したかったのですが、なんか比較するのも難しいほどいろいろ違うという感想になりました。
まずお城ですが、太田市の金山城はイカつい難攻不落の山城であるのに対して、足利市の鑁阿寺は街の真ん中で平べったい平城です。
街の雰囲気も、太田市は工業の街で、工場や店や住宅が昭和の時代にガツンガツン建ったような雰囲気であるのに対し、足利市は同じ昭和でも工業の影が感じられず、どうやって人々の生活が成り立っているのか分からないほどノスタルジックな建屋が連なっています。
イケメンゲーム風にするなら
太田市 feat.新田義貞「素直に俺について来たら、金山から見える麦を全部お前にやってもいいぜ」
足利市 feat.足利尊氏「遥かな昔、渡良瀬橋で出会った気がします。あなたは夜空の星を織る姫でした」
なんだこれ。
で、せっかく徒歩で移動したのでその感覚を説明すると、たとえば足利の奉公先で「太田の屋敷に届け物をしておくれ」とご主人に頼まれたら、日帰りできなくもないけど1泊したいなあ、という感じです。
小走りと歩きで片道2時間ちょっとかかったので、令和の現代では横浜から太田までの電車移動の感覚と似ているかもしれません。
なんて、昔は渡良瀬川の堤防も整備されておらず、アスファルトの道もなく、氾濫原の泥道を草鞋で歩くのはけっこう体力が必要だったことでしょう。
などと考えつつ、現代の帰路はお寿司に発泡酒でございます。
ご当地の食レポが無くてすみません。
内陸を歩いたのにお寿司ですみません。
ペットボトルの飲料がとにかく美味しかった一日でした。
<本日の飲料>
・グリーンDAKARA
・綾鷹
・三ツ矢アップルサイダー
・クラフトボス微糖
普通に運動していないときにこの量を見ると、若干「うぷっ」となりますが、当日はどれもめちゃくちゃ美味しかったのです。
昔の人は水を汲める井戸か池の地図が必携だったかもしれない、などと思いを馳せながら3回シリーズを終わります。