読むめし

口で咀嚼するたけでは足りず、観念でも食べ物を愛でようとする人間

群馬県太田市の金山城から栃木県足利市の鑁阿寺まで歩いてみた 前編

仕事で太田市周辺へ出張になりまして、チャンスとばかりに猛然と地図を見たところ、近くに足利市がありました。

 

これは2都攻略だなと意気込んだのですが、現実は甘くありませんでした。

 

まず、午前中早々に仕事を切り上げる想定でしたが、いろいろ予期せぬことは起こるものですよね。

チェックした製品が、想定していたロットと違うものだったわ。てへ(漠然)

 

ここで予定より1時間後ろ倒しになりました。

 

あと暑かった。

これは想定しておけという要素ですが。

群馬ぐんぐん暑くなる。

 

散歩に出かける前に既にDAKARAのペットボトルを1本飲み干しました。

 

やっと太田駅のコインロッカーに仕事道具を放り込んだら散歩スタートです。

手始めに、太田駅の北にある金山城を目指します。

 

桜並木の運河を辿り、まっすぐ北へ。


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運河の先は大光院という大きなお寺で、金山の城山のふもとにあたります。


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大光院徳川家康が、自身の先祖であるとする新田氏を祀って創建した浄土宗のお寺です。


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(英語の解説がシンプルで面白かったので載せました。幕府はShogunateというのか)

 

家康よりも遠い昔、新田義貞よりももっと昔、鎌倉時代初期に新田義重という人は浄土宗の開祖である法然上人に帰依していたのですね。

 

たしかこの太田から10kmほど南に行き、利根川を渡った所にある熊谷市出身の熊谷直実も同時代で法然上人に帰依しました。

しかし法然上人ご自身は関東に来たことはなく、ほとんど京都で過ごしている・・・法然さんの武士からの支持がハンパない、とか考えて行くとキリがないので宗教の話はここら辺にします。

 

大光院の境内の裏から、隠し通路のようにハイキングコースが続いています。

地図上では太田駅から金山城まで直線距離で1kmほどに見えたので寄り道しても30分あれば到着すると思っていたのが甘かった。

けっこうな山でした。


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ハイキングコース、意外とあちこちに経路の網があったようで、山道で迷いました。だってお城行きの矢印が出ていない岐れ道があるんですもの。

 

そして金山の城跡に着いたら意外と規模が大きいの。

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日本100名城に選定されただけのことはあります。

山城の仕掛けがあちこちに出てきます。


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本丸跡には神社があり、新田神社といいます。


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あ、申し遅れましたが、金山城は新田氏の後裔お城とされています。


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太田市の殿様的シンボルは新田義貞であります。

 

そうそう太田駅前の銅像新田義貞でしたよ。
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新田義貞自身では金山城は築いていないとされていますが、彼の子孫が山に縄張りを固めて、かの戦国上杉軍団すら落とせなかったそうです。


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お城の山から見下ろす太田市、のみならず関東平野雄大で、なんか地球の丸さまで見えそうでした。

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風情のある建家のベンチで下界を見下ろしながら綾鷹のペットボトルごくごく。


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さて下山、下りはハイキングコースではなく舗装された道を走りました。

舗装された道は、つまり、距離は長いということですからね。山下りもひとつの旅です。

 

そんなこんなで金山城を下山した頃には相当時間が経っていたし、それなりに筋力・体力を消耗していました。

 

果たして徒歩で足利まで辿り着くことができるのか?

 

茶番ではありますが、次回に続いてしまいます。