読むめし

口で咀嚼するたけでは足りず、観念でも食べ物を愛でようとする人間

北陸の城 - 春日山城、富山城、高岡城、七尾城まで

新潟県上越市にある春日山城は、住んでみたいと思うほど素敵な山の城でした。

 

かの上杉謙信の城だったそうです。f:id:baroclinic:20180805180452j:image

2018年5月連休に訪ねた春日山城は、少し暑かったけれど8月の酷暑に比べればずっと爽やかで、ちょっとした山道歩きの運動にもなります。

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日当たりの良い山に住んで、美しい山々を遥かに望み、その山々から流れてきた清らかな水で潤っている町を見ていたら、戦いなんてやめて引きこもりたくなりますよ私なら。

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シャガの花がお城の周りにたくさん咲いていました。
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あとから写真を見直すときに「シャガだから春日山城だな」と思い出せるほとです。


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平和な時代にはためく「毘」の文字は微笑ましく見えてしまいます。

 

さて、上越から一気に富山へ、北陸自動車道で一気に130km移動(スピードじゃないよ)してしまいました。

 

途中のSAでいただいたグルメを紹介します。


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ます寿司のおにぎり!

なんでおにぎりにしたのか。

 

えーと、私の大好きなます寿司の風味は損なわれず、そのまま揚げた風味がついたおにぎりでした。なんでおにぎりにしたのか。

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ビールが飲みたいやつです。ありがとうございます。

 

この間に糸魚川や親不知があったのですが、今回の旅では通過となります。

 

そして富山城。

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平地の城です。

戦国時代は神保氏→佐々成政の所領となり、江戸時代になってからは前田氏をが治める所となりました。

 

石垣と天守が復元されていて、中国からの観光客がたくさんいました。

 

その次に高岡へ行き、高岡には高岡城がある訳ですが、高岡城は富山城が火事になったことから築かれたと伝えられています。

こちらも平城で、おっとりした高岡の街の支えになっているようです。

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前田氏の加賀藩の支所のような役割を果たしつつ、江戸時代の一国一城令に合わせて「お城じゃないよ?」という体裁を保ちながら工業を盛んに行ったのです。

 

富山と高岡、たった20kmにも満たない距離にある2つの都市の関係性が気になりつつ先へ。

 

能登半島を北上して七尾城です。

 

海抜0mの七尾湾から、山を高度300mほど登った山の中にありました。

7つの尾根があることから七尾と呼ばれたと伝えられます。

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上杉謙信が攻め奪ったそうなのですが、こんな山を攻めるとかめちゃくちゃ難しいし、あの上越春日山城から富山の平野まで来るのさえ大変ですよ?

 

険しい山脈がストンと日本海にそのまま落ちていて、現代でさえ何十kmもトンネルを通らなければならない。

 

上杉謙信はどういうルートで富山や七尾まで行ったのか?

 

これを書いている時点でまだ、山ルートか海を漕いで行ったのか、まだ調べ切れていません。

 

上杉謙信おそるべし、と実感した北陸お城巡りでした。