読むめし

口で咀嚼するたけでは足りず、観念でも食べ物を愛でようとする人間

吉川英治の小説『親鸞』を読んで

この記事には小説のネタバレが含まれます。
というか歴史上の人物の話だし小説が書かれたのは昭和10年代なのでネタバレも何もないかもしれませんが、小説の展開がハラハラドキドキなので、楽しみに取っておきたい方はそっと目をそらしてください。

また、歴史上の話ではありますが、小説なので多少の異なる見解もあることをお断りしておきます。
 
 
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親鸞は1173年生まれ、1263年没。


すなわち、「いい国つくろう鎌倉幕府」と言っていた(?)頃の動乱に生きたお坊さんです。
 
親鸞は、人間の弱さや欲望に向き合って受け入れた人と聞いていたので、ヨレた酔っ払いみたいな人かと想像していたら、真逆でした。
 
なんと親鸞の母親は、源頼朝義経兄弟の又従姉妹らしいんですね(諸説あり)。
 
父親は京都の貴族でした。
 
武家の血をひき貴族の家に生まれた親鸞は、世の中の争いごとに巻き込まれないようにとの周囲の願いから、わずか9歳で仏門に入ります。
 
このときからもう圧倒的にハイパーな能力がとめどなく発揮されます。
 
お寺での預かり先である慈円さんは、一目見た瞬間に
「この子ヤバい」
と見抜き、異例のスピードで仏門の昇進を後押しします。
 
その慈円もハイパーな家柄で、お父さんもお兄さんも摂政関白なのです。
 
特に慈円の兄の九条兼実は、頼朝に征夷大将軍を宣下するとか、平安末期から鎌倉初期にかけての超VIP人物です。
 
九条兼実慈円の兄弟は、俗と聖の間で立ち回り、志と能力のある人々を後押ししますが、あんな所に行き着くとは思いもしなかったかもしれません。
 
すなわち、女人禁制とされていた当時の仏門の中で、九条兼実の娘と親鸞が結婚しちゃいます。
 
若くして異例の昇進を続け、山で厳しい修行を何年もやって、経典を読み漁り、各地の高名な僧とディスカッションを重ねた挙句、得られた結論は「坊さんでも結婚アリだわ」っていう。
 
エリート中のエリートたちがとんでもないことをしでかしたので、それぞれの政敵から攻撃されてもう大変です。
 
新しい宗教が起こるとき、創始者と周囲の人々は往々にして迫害されます。
 
鎌倉時代に勃興した新しい仏教の周りでも、えげつない迫害は起きていたのですね。
 
いやもう、仏教の話なのに展開はジェットコースタームービーよ。
 
アクションシーンも随所にあります。
小説の中で偶然の出会いもしばしば起こりますが、それらは世の中の何かの象徴と捉えれば受け入れやすいでしょう。
 
ところで、私は鎌倉時代つながりで読み始めたのですが、親鸞は首都・鎌倉には全く行かなかったんですね。
私の認識が甘かった。
 
舞台は京都と叡山から、流罪になって北陸、そののちに北関東へ。
仏教界のカリスマは、各地に仏の教えの灯をともして行きます。
 
なるほど、それが後の時代の宗派の分布につながるのか・・・?など見えかけているものもあり興味深いです。
 
ところで、序盤は酒を飲みながら読むなんて申し訳ない気持ちがあったのですが、展開するにつれて「ええんやで」ってなりました。
 
もう肉の写真を貼っておきます。
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小説に仏教や宗教モノってアリだと思います。
 
悟りを開こうとあれこれ考えて勉強して修行して議論したのに、里へ降りて現実世界を見たら自分の身近な親族の生活の悩みのほうが切迫していて一から考え直したり。
 
小説のところどころに様々な上人や弟子たちの言葉がちりばめられているのもお得です。
説話集などから引っ張ってきたエピソードも多いのでしょう。それだけでもありがたや。
チョコレートをかじりながら仏教の本を読んだっていいんです、たぶん。