読むめし

口で咀嚼するたけでは足りず、観念でも食べ物を愛でようとする人間

鎌倉時代に裏切られて殺された人ランキング

相変わらず鎌倉時代の勉強をしております。

ランキングなんて不謹慎かもしれませんが、多くの人が悲しい亡くなり方をしているようなので書いてみました。
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⚫️番外編
源の一族

源義経: 間違いなく辛い裏切られ人トップでしょう。兄の頼朝に追われ、奥州で追い詰められて自害したとされています。

源範頼: この人も義経と同じく頼朝の弟なのですが、義経の死後に嫌疑をかけられ修善寺で暗殺されました。

源頼家: 頼朝と北条政子の息子で、幕府二代目征夷大将軍です。が、北条家と対立し、修善寺に幽閉された挙句、入浴中に暗殺されます。

源実朝: 幕府三代目の征夷大将軍で、頼家の弟です。実の兄(頼家)の息子すなわち甥に「父の仇!」と言われて、鶴岡八幡宮で殺されてしまいます。

公暁: 「父の仇!」と実朝を暗殺した、頼家の息子です。暗殺を実行してから程なく彼自身も北条氏に殺されます。
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・・・なにこれ、鎌倉幕府征夷大将軍連続殺人事件ですか。

番外編だけでも偉い人の死屍累々となってしまいました。

やはりランキングは止めておきましょう。
源さん以外の人々を列挙します。
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⚫️比企能員(ひきよしかず)
頼家の乳母が比企尼といって、頼朝が不遇の時代から世話をしてくれた人なんですね。
その縁で能員さんは頼家の側近となり、武功を挙げるし娘を頼家に娶せたりしました。こうして勢力が大きくなると、北条氏と対立する形となり、一族もろとも殺されてしまいました。

⚫️梶原景時 (かじわらかげとき)
義経を陥れた、いわゆる「 佞弁の人」として後世に残ってしまいます。
元々は神奈川近辺に住んでいた平氏系の一族だったのですが、何を思ったかピンチの頼朝を匿って以来、信頼の厚い部下となります。
決して能力の低い人ではなかったのですが、それゆえか義経と作戦で対立してしまいます。
時代の急激な転変であちこち敵ができてしまって、「じゃあもう京都で仕事探すか」って東海道を西へ向かう途中で、恨みを持った人に殺されてしまいます。
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⚫️畠山重忠 (はたけやましげただ)
血筋は平氏ながら、途中から頼朝の味方になり鎌倉幕府成立に寄与した武将。
血筋のせいか、たびたび謀反の疑いをかけられるが、本人は至って泰然としていました。
しかしついに息子が北条方の恨みを買ってしまい、一族討滅されます。
だが生前の畠山重忠の人柄を知る人々からの信頼は篤く、結局殺した側も処罰されます。

⚫️和田義盛 (わだよしもり)
難しいなあこの人。
梶原景時を失脚させる署名に連座し、比企一族を討滅するときには北条方で比企さんを滅ぼしました。畠山重忠に謀反の疑いをかけたときにも北条方で畠山さんを滅ぼしました。
だけど、結局最後は北条氏の挑発に乗って戦いを仕掛けて殺されてしまいます。
尚、和田義盛の最期の激戦地が「和田塚」で、江ノ電鎌倉駅の隣の駅になります。
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⚫️三浦泰村 (みうらやすむら)
源平合戦のさなか、ハマの番長こと(?)三浦大介義明が横須賀の砦で壮烈な戦死を遂げてから数十年、孫の泰村の代には鎌倉幕府を支える重要な一族となっていました。
しかし、大きくなったが故にこれも北条氏の策略により討滅されてしまうのです。

⚫️大江広元 (おおえひろもと)
ほとんどみんな死んでしまったからこの人も死んだかなと思ったけど、78歳まで生きたようです。
もともと京都の官吏で、鎌倉幕府の始まりに前後して鎌倉へやって来て、政策に手腕を発揮しました。
朝廷との関わりが深く、バランス感覚もあったのでしょう。
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今回は、フリー素材のおにぎりをブログに散りばめてみました。

彼らの魂に安らぎあれ。