元日に北関東ラン 結城市の巻
本日は、前回の記事の補足的な旅レポートです。
繰り返しですが、当初の予定は、
茨城県結城市→栃木県小山市→(渡良瀬遊水地)→茨城県古河市→群馬県館林市
でした。
何故このような場所を走ろうとしたかというと、戦国〜江戸時代を絶賛勉強中なので、東京から日帰りできる範囲で小さな城下町をいくつか点から点へ結んでみたくなったからです。
我ながら渋い都市の選択です。
では、スタート地点である結城駅から散歩の模様を見てみましょう。
なんとなく旧街道の趣のある道ですが、元日の朝には人影がありません。それはそれで気持ち良いものでした。
城の方角へ進むうちに神社があり、ここにはお参りする人々が10人くらいいました。
今年の初詣はここにしよう。ご縁でござる。
健田須賀(たけだすが)神社といって、結城家の初代が13世紀に創建したのだそうです(途中で少し場所移動したらしい)。
御利益は健康、病気平癒など。良いご縁です。
結城市は室町から戦国時代にかけて、結城氏が治めていた街です。
その後、家康が関東を領地にしたときに息子の一人を結城氏に養子に出してその人が城主になりました (が、その後、越前へ領地替えに。この結城秀康という家康の息子は実力は認められながらも悲劇的な人生を送ります)。
それからは徳川家の譜代が治めることになります。
さて、結城城跡ですが、
めっちゃ更地ー?!
小さな公園になっていました。
結城秀康が越前へ異動した際に一度廃城になり、しばらくして復活したのですが明治維新の際に佐幕派の拠点となったため取り壊されたそうです。
ぽっかり空いた空間は、逆に人間活動のエネルギーの強さを思わせます。
城跡から東へ向かうと、立派な塀がありました。
なんと、小学校でした。
その隣には市役所が同じような塀に囲まれて建っています。
お城が無くなったぶん、ここに作ったのでしょうか。
さらに東へ進むと、白菜畑がありました。
しばし魅入られました。
どんどん行くと、坂の途中でこんな看板を見つけました。
戦国時代、小山氏と結城氏は兄弟なのに争っていて、ここの場所で和睦したのだそうです。
小山市と結城市は10kmほどしか離れていないために結び付きが強く、養子縁組したりお嫁に出したり、ときには血縁同士で争ったのですね。
昔の人々も、お互いの街へ行くのにそれほど労力は必要なかったでしょう。なだらかな坂なので、馬も走りやすそうです。
ということが実際に走ってみて分かったり、たのしい。
ここまでは順調な旅だったのです。
そこからこうなった訳ですね↓
次回の記事では古河市でゴールの予定でございます。