駿河路で信長と家康のランデブー
クリスマスの夜ですが日本史の話です。
実際、ここ数日は街のイルミネーションなど一切見ずに歴史小説をひたすら読んでおります。
日本史を知らなさすぎる41歳が、やっと静岡旅行のおかげで少しずつ学んでおります。
1582年、信長と家康は同盟して甲斐の武田氏を滅ぼすんですね。
その帰り、信長は尾張へ、家康は浜松へと帰るのですが、信長が
「そういえば富士山を見たことがなかったわ」
とか言い出します。
甲斐を攻める際、信長は美濃から信州を通ったので富士山を見ていなかったのです。
どうせ見るなら駿河から見た富士山が最も美しいのは古来からの定説でした。
家康は自分の新領地を接待しながら西へ進みます。
それから天竜川を渡り、ついに家康の当時の居城であった浜松城に到着し、ここで家康の接待は完了します。
信長、大満足。
戦国時代の抗争のさなかにこんな局面があったとは知りませんでした。
そして、天下の大将軍二人が辿った道は、今年私が楽しんだ場所でもあって、こんなエピソードに心が惹かれてしまいました。
ところが、この初夏の爽やかな旅を満喫した1582年は、本能寺の変の年でもあったのです。
甲斐・駿河路の接待に感謝しきりの信長は、今度はこちらが安土や京都を案内すると提案し、間も無く家康が接待される番になります。
安土や京都を見物し、堺で西洋文化に触れて、では東へと引き返し、京都にいる信長にお礼をして帰ろうかね、という道の途中でした。
その「変」を家康が聞いたのは。
家康は、小川へずり落ちそうになった。
と司馬遼太郎の『覇王の家』では表現されています。
信長の命令で妻子を切腹させられるなどという狂気に近い辛酸を嘗めて同盟を保ちここまで来たのに、大きな後ろ盾は一瞬でこの世から消えました。
それ以上にのっぴきならない問題として現状、軍隊を連れていない家康の一団は、大混乱の京都を通り抜けて浜松へ戻らなければなりませんが、信長の同盟者として命を狙われます。
結果はギリギリの大脱出で、ご存じの通り家康は生きたのですが、なんとまあ途方もない運命に翻弄された前半生だと思いました。
そんな話をサイゼリヤで書いている2015年のクリスマスでした。
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