いやまあ私も具体的な場所を知っていた訳ではなくて、北陸方面へ旅しているときにスマホの地図で見つけて立ち寄ってみたのですけれども。
という心当たりがあったのは、去年鎌倉市の勉強をしようとして鎌倉時代の新宗派の本をいくつか読んでいたからです。
浄土真宗の宗祖・親鸞は京都を追放になり、北陸へと流されたのでした。
鎌倉市について勉強しようとしていたのに、親鸞は鎌倉に来ていなかったというオチも付いた話ではありましたが。
冒険活劇としてとても面白い歴史小説でした。
親鸞の北陸の活動拠点が吉崎御坊・・・と思ったら、記憶違いでした。
親鸞は越後、現在の上越市付近で、吉崎御坊を拠点にしたのは親鸞の子孫である蓮如でした。
蓮如は、応仁の戦乱渦巻く時代にアグレッシブに布教した中興の祖です。
さてさて吉崎御坊、どんな威容かと行ってみたら
んん?
入口から看板がたくさんあってよく分からない。
どこへ向かえばいいのか?
むしろそれぞれの矢印が示すそれぞれの場所があやしく思えて、とりあえずスルーしてとにかく奥へ上る階段へ。この違和感の正体は、のちほどお坊さんの話で判明します。
ただ、奥へ続く階段の上は、間違いなく吉崎御坊のあった丘のようなのです。そこだけは確実なはず。
蓮如さんの大きな像が、丘の上にありました。よかったよかった。
小高い丘から見渡すと、その場所は池?湖?川?に囲まれており、その向こうには海が見えました。
ふと思いました・・・この地形は寺というより城に向いているのではないか?
蓮如は、戦うつもりだったのではないだろうか。
その予想は、数分後にお坊さんの話から裏付けられました。
この丘を下り、とりあえず何だか「いろいろな資料があるよ」と看板が招いている建屋へ入ってみると、お坊さんが数名の観光客に向けてお話をしていました。
途中から入ったため時間をずらす形で、後半は独占状態でお話を伺うことができました。
・丘の上にあった建屋は取り壊された(そりゃそうですよね、昔は)
・丘の上にあった建屋はお城か砦のようなもので、湖から河口を抜けてすぐ海へ出られた(貿易まで考えていたのかな?・・・ひょっとして独立国家を想定とか?)
・作家の五木寛之はこの風景が好きで、何度も訪れている(蓮如そのものをテーマにした小説を書いているのですね。あとで読んでみよう)
・吉崎御坊の寺は、3つに分断されてしまった(これが看板乱立の違和感の正体だったようです)
等々、興味深いお話をたくさん伺うことができました。
海と川と湖が出会い、要衝になるポテンシャルがあったために、却って牽制されてややカオスな場所になっている吉崎御坊。
行ってみて初めて分かることがある。訪れてよかった。
旅行の意義を感じた場所でした。