鎌倉、材木座のお寺のさらに先へ
前回、日蓮の足跡のある鎌倉のお寺について書きました。
今回はそこからさらに海岸の方へ向かいます。
強そうなクリーチャーたちを従える強そうな日蓮像があります。
実際日蓮は「偉丈夫」と伝えられています。
あの時代に新しい宗派を打ち立てるのは、房総半島から叡山や高野山を駆け回り山と積まれた経典を読み、盗賊から逃げられるだけの体力がないと成し遂げられないことだったかもしれません。
そこからさらに海へ向かうと、ちょっと驚くようなお寺がありました。
最初の門のずっと向こうにさらに大きな門があって、その遥か先に本堂みたいなのがある?
何ですかこの広さ
光明寺というそうです。
スローガンは法然共生?
法然さん、ということで、ここは浄土宗のお寺のようです。
日蓮の鎌倉入り:1253年
光明寺建立:1243年
京都で興った浄土宗の、鎌倉における一大研究センターのようなお寺で、現在でもその働きは続いている雰囲気がありました。
その先はいよいよ材木座海岸です。
材木座海岸はビーチで遠浅なので、船を付けにくかったのですね。
現在は残念ながら当時の港湾的な働きはなく、長い年月の波に削られてただの沖合いの浅瀬になっています。
上の写真の真ん中にあるペタッとしたやつがそれで、今はその周りをサーファーが盛んに行き交っています。
和賀江島の望む陸側にあるのが六角の井戸といって、海に最も近いところから水を汲み上げていました。
ここまで来ると、鎌倉の東側をひとつコンプリートした気分になれます。
が、ついついその先が気になって散歩してしまう私は、逗子市へ突入しました。
新墓地受付中。
海と緑に囲まれて。悪くない。
鎌倉〜室町と推移して戦国時代には、一つの大きな戦の舞台となったお城も山の上にあったそうです。
急坂を登って振り返る海に最果て感があります。
別の道でトンネルをくぐれば逗子方面へ抜けるのですけどね。
下の写真は、昔訪れた逗子のsurfersというカフェで、トンネルの先にあります。
何しろ海に突き出たロケーションでカリビアンかハワイアンな料理を食べられ、圧倒的にゴキゲンな場所です。
急に最後だけ雰囲気が変わってすみません。
鎌倉、大町のお寺を尋ねて
鎌倉時代の新しい仏教ということで『親鸞』を読んだら全く鎌倉が出てこなかったという話を前に書きました。
そこで、今度こそ同時代に鎌倉にいた日蓮の小説を読んでみました。
日蓮は、千葉県は小湊の出身です。
明らかにデキる日蓮は、お寺のスカウトの目にとまり、千葉のお山のお寺へ入る、という経緯でした。
ところが、あまりにもデキすぎて次第に世の中の不条理が引っかかるようになります。
仏様が見ているはずなのに、どうして世の中は苦しみだらけなのか?
仏様を奉じる人たちの中で、誰が正しいのか?
なぜ日本にはいろんな宗派があるのだ?
本気で気になった日蓮は、経典を読みまくり、各地の高僧とディスカッションの旅もします。
そうして得た日蓮の結論はこうでした (ブログ筆者の解釈です):
密教系 → 盛大に祈っても、世の中の不正や苦しみは消えていないじゃん。
浄土系 → 祈るだけで誰でも救われるとか、人間の力はそんなに小さくて、自然のなすがままなのか?
禅系 → 肉体を苦しめて悟りを得られるとなると、形式主義に陥るのでは?
・・・どれも違うようだ。
お釈迦さまの元々の教えにはこんな宗派など無かった。お釈迦さまの直接のお言葉に最も近い原典こそが最も真理に近いのではないか。
それは、法華経だ!
原典に忠実に従えば、宗派は分立もしないし、政治だって正しく行われるはず。
で、鎌倉に突っ込んで行って活動を始めます。
まず草庵を結んだのが、名越切り通りの近くの妙法寺付近と言われています。
元の草庵は、政治でも仏教世界でもあらゆる敵を作ってバッキバキに焼き討ちされて残っていないので伝承になる訳ですが。
そのすぐ近くに安国論寺があります。
名前が個性的でかなり分かりやすいですね。
日蓮が「こうしないと国はイカン」と文章を書いた場所です。
そそっと門をくぐって本堂までを歩くだけでも、気持ちの良い視界に囲まれます。
観光客は私の他には2人連れだけでした。
観光的にはそれほどメジャーではない、(今は)落ち着いたお寺を見られてよかったです。
と言いつつ、本日のおみやは御成通りの鎌倉小川軒、シューロールをいただきます。
玉子の風味が濃厚で、クリームがまったりしてシュー皮が独特の食感を出し西洋の贅沢を感じるお菓子でした。
いろいろすみません。
吉川英治の小説『親鸞』を読んで
この記事には小説のネタバレが含まれます。
というか歴史上の人物の話だし小説が書かれたのは昭和10年代なのでネタバレも何もないかもしれませんが、小説の展開がハラハラドキドキなので、楽しみに取っておきたい方はそっと目をそらしてください。
また、歴史上の話ではありますが、小説なので多少の異なる見解もあることをお断りしておきます。
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親鸞は1173年生まれ、1263年没。
すなわち、「いい国つくろう鎌倉幕府」と言っていた(?)頃の動乱に生きたお坊さんです。
親鸞は、人間の弱さや欲望に向き合って受け入れた人と聞いていたので、ヨレた酔っ払いみたいな人かと想像していたら、真逆でした。
父親は京都の貴族でした。
このときからもう圧倒的にハイパーな能力がとめどなく発揮されます。
お寺での預かり先である慈円さんは、一目見た瞬間に
「この子ヤバい」
と見抜き、異例のスピードで仏門の昇進を後押しします。
若くして異例の昇進を続け、山で厳しい修行を何年もやって、経典を読み漁り、各地の高名な僧とディスカッションを重ねた挙句、得られた結論は「坊さんでも結婚アリだわ」っていう。
エリート中のエリートたちがとんでもないことをしでかしたので、それぞれの政敵から攻撃されてもう大変です。
新しい宗教が起こるとき、創始者と周囲の人々は往々にして迫害されます。
鎌倉時代に勃興した新しい仏教の周りでも、えげつない迫害は起きていたのですね。
いやもう、仏教の話なのに展開はジェットコースタームービーよ。
アクションシーンも随所にあります。
小説の中で偶然の出会いもしばしば起こりますが、それらは世の中の何かの象徴と捉えれば受け入れやすいでしょう。
私の認識が甘かった。
舞台は京都と叡山から、流罪になって北陸、そののちに北関東へ。
仏教界のカリスマは、各地に仏の教えの灯をともして行きます。
なるほど、それが後の時代の宗派の分布につながるのか・・・?など見えかけているものもあり興味深いです。
ところで、序盤は酒を飲みながら読むなんて申し訳ない気持ちがあったのですが、展開するにつれて「ええんやで」ってなりました。
もう肉の写真を貼っておきます。
小説に仏教や宗教モノってアリだと思います。
悟りを開こうとあれこれ考えて勉強して修行して議論したのに、里へ降りて現実世界を見たら自分の身近な親族の生活の悩みのほうが切迫していて一から考え直したり。
小説のところどころに様々な上人や弟子たちの言葉がちりばめられているのもお得です。
説話集などから引っ張ってきたエピソードも多いのでしょう。それだけでもありがたや。
チョコレートをかじりながら仏教の本を読んだっていいんです、たぶん。
韓国土産の謎の缶は、野菜と炒めて美味しいつぶ貝でした
前回まで鎌倉の話が続いたので、この辺でこのブログの基本に戻って食べ物の話をします。
先月から韓国へ赴任になった日本人に、韓国土産をいただきました。
ただし、買ってきた人も実際に食べたことはなく、周囲の韓国人に勧められたとのことでした。
曰く、
「野菜と一緒に胡麻油やコチュジャンで風味を付けて」
「バター炒めもいける」
で、その缶なのですが、イマイチ何が入っているのか分からない。
ぜんぶ韓国語です。
今日び、スマホのカメラを向けると日本語訳が出るみたいなアプリもあるのかもしれません。
あるいは、PCの韓国語入力をONにして文字を打ち込んでGoogle翻訳で確認できるかもしれません。
それとも、韓国語を勉強しちゃうかい?
しかし、そのような悠長なことをしている場合ではありません。
まず食べたい。
缶に中身の写真もあるのですが、判然としません。
チキンかな?
と思いました。
鶏皮とコラーゲン的なやつかな?
なるほど鶏皮と野菜炒めってあまり見たことないけど美味しそう。
などと想像しながら、スーパーでキャベツがメインのカット野菜袋を買ってきました。
缶を開けてみると、
貝の水煮?
予想よりも遥かにカロリーが低そうです。
脂っけが一切ありません。
汁は甘辛で、貝の旨味がよく出た醤油的なものがベースのようです。
しかし脂っけはありません。
予想よりヘルシーだったので胡麻油を多めにフライパンに敷いて、スライスした生姜とカット野菜を投入します。
なんとなく気分で缶詰の汁を半量入れて、コチュジャンも混ぜて蓋をして蒸し煮にすること7,8分。
ビールをいただきながら待ちます。
火を止めて、さらに5分ほど蒸らして味をなじませます。
まあビールを飲んでおつまみをゆっくり食べていたからなんですけど。
できた。
えー、とても美味しかったです。
貝の甘みと、じっくり蒸らしたキャベツの歯ざわり、とろける玉ねぎ、そしてコチュジャンの辛さが浸透し合っていました。
つぶ貝は20個くらいは入っていたので普通は2,3人前かもしれませんが、1人で完食してしまいました。
貝好きの人には嬉しい一品でした。
また機会が与えられたら、今度はガーリックバター炒めにしたいです。
もう一品、フレーク状の韓国海苔もいただきまして、明太子と九条ネギとともにうどんにかけたら間違いなく激ウマでした。
缶詰も韓国海苔も、ネットで検索してしまいそうです。
→あった。やはり缶はつぶ貝でした。日本産のは最初から酒の肴としての味が付いているものばかりなので、この缶は韓国土産によさそうです。
鎌倉時代に裏切られて殺された人ランキング
相変わらず鎌倉時代の勉強をしております。
ランキングなんて不謹慎かもしれませんが、多くの人が悲しい亡くなり方をしているようなので書いてみました。
⚫️番外編
源の一族
・源義経: 間違いなく辛い裏切られ人トップでしょう。兄の頼朝に追われ、奥州で追い詰められて自害したとされています。
・公暁: 「父の仇!」と実朝を暗殺した、頼家の息子です。暗殺を実行してから程なく彼自身も北条氏に殺されます。
番外編だけでも偉い人の死屍累々となってしまいました。
やはりランキングは止めておきましょう。
源さん以外の人々を列挙します。
⚫️比企能員(ひきよしかず)
頼家の乳母が比企尼といって、頼朝が不遇の時代から世話をしてくれた人なんですね。
その縁で能員さんは頼家の側近となり、武功を挙げるし娘を頼家に娶せたりしました。こうして勢力が大きくなると、北条氏と対立する形となり、一族もろとも殺されてしまいました。
⚫️梶原景時 (かじわらかげとき)
義経を陥れた、いわゆる「 佞弁の人」として後世に残ってしまいます。
元々は神奈川近辺に住んでいた平氏系の一族だったのですが、何を思ったかピンチの頼朝を匿って以来、信頼の厚い部下となります。
決して能力の低い人ではなかったのですが、それゆえか義経と作戦で対立してしまいます。
時代の急激な転変であちこち敵ができてしまって、「じゃあもう京都で仕事探すか」って東海道を西へ向かう途中で、恨みを持った人に殺されてしまいます。
⚫️畠山重忠 (はたけやましげただ)
血筋のせいか、たびたび謀反の疑いをかけられるが、本人は至って泰然としていました。
しかしついに息子が北条方の恨みを買ってしまい、一族討滅されます。
だが生前の畠山重忠の人柄を知る人々からの信頼は篤く、結局殺した側も処罰されます。
⚫️和田義盛 (わだよしもり)
難しいなあこの人。
だけど、結局最後は北条氏の挑発に乗って戦いを仕掛けて殺されてしまいます。
⚫️三浦泰村 (みうらやすむら)
しかし、大きくなったが故にこれも北条氏の策略により討滅されてしまうのです。
⚫️大江広元 (おおえひろもと)
ほとんどみんな死んでしまったからこの人も死んだかなと思ったけど、78歳まで生きたようです。
もともと京都の官吏で、鎌倉幕府の始まりに前後して鎌倉へやって来て、政策に手腕を発揮しました。
朝廷との関わりが深く、バランス感覚もあったのでしょう。
今回は、フリー素材のおにぎりをブログに散りばめてみました。
彼らの魂に安らぎあれ。