読むめし

口で咀嚼するたけでは足りず、観念でも食べ物を愛でようとする人間

『道路の日本史』が面白かった

今まで何となく、最初からそうなのだと深く考えていなかった「東海道」は、京都から見ると東にあって、海側のルートを通るから「東海道」なんですね。
この本を読んで知りました。

えっ皆さんご存知でした?

東海道の対として、「東山道」があったのです。
むしろ、東山道があったために、それに対して東海道だったようなのです。

まず京都が首都だった古代の時代には、江戸なんてほぼ存在しませんでしたからね。
海ルートを通るのは良いけど、どこへ行くの?って話です。

海岸線に沿って道路を作るほうが分かりやすくて早いのでは?
と考えるのは、既に立派な道路ができた後の現代の発想のようです。

川はデカいし入江もあるし、橋を架けるのも容易じゃないのです。
架けたとしても、メンテナンスが大変なのです。

・・・この本は東海道がメインの話ではないのですが、東海道のことだけでも目からウロコってやつです。

一番興味深くて、この本の主眼に近いトピックは、古代道路と高速道路のルートの一致です。

古代の律令国家時代、中央集権がしっかりしていたときは、中央(奈良・京都)から地方へ行くために、できるだけ直線的なルートを引いたようです。

それが現代の高速道路のルートと一致することが多く、実際に高速道路の建設に携わった筆者が、実際に古代遺跡にぶつかったことから探求を始めたというのが何とも切実な話です。

近世の道路も、別にそんなに古代の道路と離れている訳ではないのですが、ルート的には高速道路のほうが古代とよく一致すると言います。

なぜなら、街道の主眼は街と街を結ぶことにあり、遠くの目的地を一直線に目指すよりは、近接した場所をつなぐことが重要だったからです。

古代にとっても近世にとっても重要な拠点は一致しますが、ディテールはずれるという訳です。

これは、近代の国道と高速道路の違いにも重なり、国道は近世の街道に近く、高速道路は古代の道路によく一致します。

総論として、道路というものは、強い中央集権がある時にはよく発達します。
中央集権が崩れると、道路は分断されます。

力の弱い、身を守ろうとする勢力は、道路を寸断するからです。

力の強い勢力があれば、道路を使って軍隊を遠くまで送り込もうとします。

そういうことを踏まえると、旅も味わい深いものになりそうです。

ゴールデンウィークには、山の中を切り開く高速道路や宿場町の名物などを楽しみたいものです。

f:id:baroclinic:20170405220021j:image

写真は、鳥取県境港のまぐろラーメンです。

旅の先々で名物を味わえるなんて、中央集権も無いのに幸せな時代でございます。

4月はじめの横浜の桜

f:id:baroclinic:20170404083503j:image今回の記事は主に記録用です。

また1年後に「こんなだったなあ」と振り返れますように。

さて先週、寒い寒いと言いながら散歩して回った横浜のレポートをブログに上げましたが、続報です。

4月1日と2日の話です。

4月1日まだ咲いてなかった。
エイプリルフールかしら。

もう店は開いちゃってるし人は来ちゃってるんですよ。
開いてないのは花だけですよ。
f:id:baroclinic:20170404083238j:image
来た人は仕方ないから寒いって言いながらビール飲んでますよ。

屋形船も、どうなんでしょう、中にいれば寒くないかもしれないけど咲いてませんよ。
f:id:baroclinic:20170404083303j:image
2017年4月1日(土)、この日の横浜市の最高気温は8.8℃でした。
f:id:baroclinic:20170404083631j:image
翌4月2日(日)、やっと晴れました。
前日に比べれば気温は上がったけれど、やっぱり寒い。


この日は横浜駅から東横線沿いに北上します。

妙蓮寺駅すぐの菊名池公園、1割ほどでした。

花見の人は無し。

菊名の錦が丘は1~2割です。
f:id:baroclinic:20170404083355j:image
住宅街の中に大きな老木の桜が点々とあるのが珍しい場所です。
しかし桜の老化が進んでいるため、若木をがんばって育成中です。

菊名から北東へどんぶらどんぶら(徒歩ですが)、住宅街のなかを進みます。

いきなり山道に分け入ってトレイルモードに突入したりしてさすが横浜だなと思っていたら、トレイルの途中で時代設定が分からない風景が垣間見えました。
f:id:baroclinic:20170404083418j:image
古民家風の家の前に、桜っぽい木が並んでいるのです。
未だに周囲との脈絡は分かりません。
夢だったんじゃろうか。

そうして森を掻き分け再び住宅街を抜け
、車道を渡るカルガモ親子のように(人間1名ですが)歩いたり走ったりして、三池公園に着きました。

やったね!
f:id:baroclinic:20170404083451j:image
桜は1~2割咲きですが、人間は待ちきれません。

祭りです。太鼓のリズムで踊っている輪も見えます。

何にせよ人々はシートを敷いているのです。

三池公園は日本の桜の名所100に選ばれているそうですが、県が管理しているためなのか(不明)、露天や屋台はありません。

近所の人々がお弁当持参でやってくる雰囲気です。

おにぎりとか、家庭の弁当風の柔らかい匂いが漂うのが良いところです。
f:id:baroclinic:20170404083523j:image
何かを焼いたり揚げたりする匂いはありません。

とにかく1割でも咲いているなら、人々は写真を撮ります。私も撮ります。

からの、鶴見川を渡り、我らが川崎へ。
今日も賑わっている街でしたが、桜はここでも1割です。
f:id:baroclinic:20170404083547j:image
今年は平日に咲いて散ってしまうのでしょうかね。

そんな4月初めの週末でした。





緊急特集 「一汁一汁でよいという提案」の衝撃

良い意味で衝撃でした。

和食の第一人者である土井善晴氏が、「がんばっておかず作る必要ないんちゃう」
というおっしゃっているのです。
 
ご参考まで、記事はこちら
出版された本はこちら (私はまだ読んでいません)

 

一汁一菜でよいという提案

一汁一菜でよいという提案

 

 

 
すなわち、手抜きレシピというのは昨今よくありますが、テーブルに並べる品数自体が、一つでいいのだと。
 
この記事を読んで一番救われたのは、子供の分まで料理を作る人(たとえば「お母さん」)でしょう。
Amazonのレビューに「泣きながら読みました」とあるほどです。
 
料理の大御所が言ってくれたからこそ、影響力を持つ話でしょう。
 
一汁三菜はもともと、身分の高い人がおめでたい席で召し上がるスタイルだったんですね。
 
時代が進んで食べ物が豊かになってきたら、良い物を食べたい、食べさせたいという方向から庶民の食事のハードルが上がってしまった。
 
フランス人が自宅でいつもコース料理を食べている訳じゃないって話です。
 
言われてみればたしかに、食事の最大にして大部分を占める意義は、必要な栄養を摂取することですよね。
 
固定観念からのスタイルにこだわる必要はないのです。
 
ちなみにわたくし、一人暮らしがそろそろ四半世紀となり、家族と過ごした時間よりも長く、食卓の見栄えにこだわったことなど無いのですが、それでもなお衝撃を受けました。
 
こんな私ですら、「本当の食卓はもっとちゃんとしている」という観念があったものと思われます。
 
さて、この一汁一菜を紹介した記事へのコメントの中には
「味噌汁だけでは栄養が足りない」
「カレーだけだと塩分と脂肪過多なのでは」
「ごはんとスープの割合から、炭水化物過多なのでは」
「子供には栄養が足りない」
等々がありました。
 
しかし、むしろ逆の考え方だと思います。
 
すなわち、栄養が十分あるならば一汁一菜で良い、ということだと思います。
 
それから誤解しないでほしいのは、一汁一菜「でもok」なのであって、一汁一菜にしなさい、これが健康法です、と言っている訳ではないことです。
作りたければどんどん作れば良いのです。
 
一汁一菜でOKという転換が起きているなら、栄養に関する知識が重要になってくると思います。
 
知識をもって臨めば、無駄な手間を省くことができます。
 
栄養に関することがら、特にダイエット法などは日々年々「新常識」が出てきますが、がんばって追いかけなくても基礎だけ押さえれば良いと思います。
 
 
さて、シンプル食卓の例として、記事へのコメントには味噌汁、カレー、ミネストローネ、鍋等が挙げられていますが、このほかに一品で栄養を網羅できるメニューを挙げてみます。
 
私が、長い一人暮らしの中で作ってきた料理たちです。
 
---
⚫️煎り豆腐
1. ささがきごぼうと人参、太めの輪切りにしたネギと、椎茸やシメジなどをごま油で炒め、豆腐を丸ごと鍋に入れて、めんつゆを加えます。
2. 豆腐を崩しつつ汁気を飛ばしつつ炒めて、仕上げに溶き卵を加えてお好みの加減に火を通します。
3. おわり。お好みで七味などをかけて。
 
⚫️野菜麻婆豆腐
1. 小松菜やシメジなどを、豆腐と共に麻婆豆腐の素で調理します。
2. おわり
 
⚫️鮭のちゃんちゃん焼き風
1. キャベツや人参、キノコ類をバターで軽く炒めます。鮭は切り身を丸ごと入れて、炒めながら骨や皮を取り除きます。
2. ワインまたは日本酒または水で溶いた味噌をそれに加えて、蓋をして蒸し焼きにします。
3. おわり。お好みで七味など。
 
⚫️タンメン
1. スーパーの野菜セットなどとニンニク・ショウガ、豚肉などを軽く炒めた後、ラーメンスープで煮ます。
2. 別茹でした麺をそこに投入してなじませたら丼に盛っておわり。
 
f:id:baroclinic:20170330124259j:image
 
そんな感じで一品ごはん、楽しみたいですね。
 
という文章をほとんどサイゼリアで書きました。すみません。

大岡川を野毛から弘明寺まで。桜を待ちわびて

東京で桜が咲かないなら、横浜でも咲かないのです。

2017年3月25日(土)、横浜の桜の名所の一つである大岡川を散歩がてら見に行った結果を報告いたします。

f:id:baroclinic:20170325204639j:image
ほぼ蕾です。

蕾99.5%でした。
すなわち開花率0.5%、5厘咲きでございます。

一方、地元の方々にはおなじみの大岡川の桜の風景、ザ・露天ですが、3月25日(土)11時現在、着々と準備が進んでいました。
f:id:baroclinic:20170325205119j:image
雰囲気から言うと、今日さっそく始める勢いのお店が多かったです。

まだ食べ物は全く置いていないのですが、露天を横目で見ながら進むうちに食べたくなります。

タコ焼き、鶏ステーキ、しゃがバタ、牛串・・・まだ見ぬ賑わいに心もしくは胃袋が踊ります。

f:id:baroclinic:20170325205855j:image
僅かに咲いている桜をアップにして写真を撮る人の心情をお察しください。

いや私よりも切実に開花を心待ちにしているのは、露天の人々でしょう。

f:id:baroclinic:20170325210120j:image
あともうちょっと、ポフッと蕾が開けば開くんですけどね。

一様に蕾のまま、野毛からスタートした大岡川散歩はあっさりと弘明寺に到達しました。

弘明寺は桜並木のほぼ終端です。

終端にはしっかり、弘明寺公園という名所が配置されています。
もちろんここの桜も咲いていません。

蕾だけの桜の樹の下で、青いビニールシートを敷いて震えながら宴席を張っている若者の集団がありました。

「さささ寒みいー」
「中止?ねえ今日中止?」

そんな集団を尻目に展望台へ。

f:id:baroclinic:20170326071612j:image
さすが弘明寺公園、いきなり標高が高い、しかし視界が茶色い。

しかし「ランドマークタワー」とはよく命名したもので、横浜界隈の多くの展望台から見えます。

弘明寺の商店街の、公園とは逆のエンドには学校があり、そこそこ桜があります。
f:id:baroclinic:20170326072236j:image
ここの桜が、この日一番の開花率でした。しかし1分咲きくらいかな。
立ち止まって観る人は、私以外にいませんでした。

弘明寺商店街の中華料理屋でなんとなく焼きビーフンを買って帰路へつきます。

1パック200円と書いていたのに
「220円になります」
「え?200円ですよね?」
「消費税を入れて」
「え?」
「216円ですが、中途半端なので」
「え??」

面倒臭かったのでそのまま220円払ってしまいましたが、210円に値切るかレシートを要求するべきでした。
要注意の中華屋があることだけ書いておきます。
f:id:baroclinic:20170326073036j:image

復路は川をたどらずに県道を走り、みなとみらいへ。

f:id:baroclinic:20170326073629j:image
横浜美術館の横、遠目に見ると桜によく似ているモクレンが、このときばかりは写真に撮られています。

f:id:baroclinic:20170326073827j:image

何年もこうして観光地に咲き、「なんだ違うの?」と言われている、モクレンです。
f:id:baroclinic:20170326073934j:image
これが「木蓮の涙」(ちがいます)。

そんな、桜を待つ人々を見ながら、桜を待つ私の散歩でした。

横浜の坂たち

なんと2月に一度も更新しておりませんでした。

というか、2ヶ月ほど記事を書いておりませんでした。

その間、冬に撮りためた横浜の普通の住宅風景を公開いたします。
もう春がほとんど来てしまいましたね。

f:id:baroclinic:20170312142921j:image
家の一つひとつにどんな人が住んでいて、窓からどういう景色が見えるのかなあと、想像しながら散歩します。
f:id:baroclinic:20170312143144j:image
しかし、「見て見て、すごい坂!」と紹介したくても、坂の写真って難しいんですよね。

写真の中で傾斜を表現するのは、一筋縄では行かないようです。

f:id:baroclinic:20170312142648j:image
輪っかが付いている道路だと、それなりの角度があるのだろうと想像してもらえるのでしょうけどね。

しかし飽くなき挑戦は続きます。

f:id:baroclinic:20170312144353j:image
左右の段差で傾斜を感じさせたりですね。
f:id:baroclinic:20170312144020j:image
こちらの写真では、屏風のような崖の下に家々があります。
もしかしたら古代には要塞だったかもしれない勢いです。

f:id:baroclinic:20170312145030j:image
さて一休み・・・ここは、横浜市の仏向町というところにある水道記念館です。
なみなみと波打つ横浜の坂のただ中にあります。

私のお気に入りの場所の一つです。

f:id:baroclinic:20170312145314j:image
水道記念館の庭から、遥かにみなとみらい地区が見えます。

ここの建物に展示されている横浜市の水道の歴史は、とても分かりやすい語り口です。

横浜市はこの急峻な坂の連続ゆえに、水道技術が導入される前は、各家庭で水を使うにはかなりの労働力が必要だったのです。

ひしゃく1杯の水が現代のお金で200円くらいだったとか・・・うろ覚えですが、ペットボトルの水よりも高価だったと思います。

それが、蛇口をひねればきれいな水が出てくる生活に変わったなんて、どれだけ革命的な変化だったことでしょう。

しかも、横浜市に流れ込む水道の源流は、富士山麓から来ているそうです。
忍野八海(おしのはっかい)といって、行ったことのある人はご存知だと思いますが、青く透き通った湧き水から来ているのよ?

はるばる水桶を担ぎ、ときには伝染病に悩まされる生活から、富士山麓ミネラル水をワンタッチでゲットできる生活へ。
見事に水道のありがたみが分かる展示があります。

f:id:baroclinic:20170312151308j:image
上の写真は、水道記念館の前庭です。
ヨーロピアンなたたずまいの噴水は、きっとヨーロッパから技術を取り入れた余韻かもしれません。

尚、同じ敷地内の別の建屋にある水道技術展示棟の解説は、記念館とは対照的にマニアックで私にはほとんど理解できませんでした。それもまた良い。

そんな横浜の坂と水道に思いを馳せながらの散歩ということで、今回はこれにて一旦区切ります。

まだまだ坂道と住宅写真があるのよ。どうしましょう。

f:id:baroclinic:20170313202714j:image
写真右上の日本酒は、神奈川の地酒「大山」です。辛口ながら穀物のまろやかさがあり、けっこうお気に入りです。
これはこれで神奈川の水の恵みですね。